三中信宏
(2006年7月20日刊行,講談社[現代新書1849],東京,296ページ, ISBN:978-4-06-149849-5 → コンパニオンサイト|版元ページ)
初版は15年前ですが,このたび第8刷重版が決まりました(8月31日刊行予定).3年ぶりの増刷はシアワセをもたらすか.ありがたやありがたや〜.ただし,本体価格は840円から1,000円に値上げとなります.
三中信宏
(2021年6月15日刊行,東京大学出版会[東京大学出版会創立70周年記念出版],東京,xiv+349 pp., 本体価格2,800円(税込価格3,080円), ISBN:978-4-13-063376-5 → コンパニオン・サイト|版元ページ)
いつの間にか〈読書メーター〉 #bookmeter に感想コメントがふたつ公開されていた ——
- 山像 https://twitter.com/leeswijzer/status/1414707153424699395 (2021年7月11日)※『サイエンス・ウォーズ』の件は推理小説みたいな顛末でおもしろいでしょ!
- あつもり https://bookmeter.com/reviews/99611687 (2021年7月11日)
- 鴨長石 https://bookmeter.com/reviews/99356426 (2021年6月25日)※「要は毎日コツコツ書くということで、それができるなら苦労はしないだろう…」—— だから,苦労しなくてもできるんですってば.
ヤマザキマリ,とり・みき
(2021年7月15日刊行,新潮社[バンチコミックス45プレミアム],東京,ISBN:978-4-10-772407-6 → 版元ページ|特設サイト)
三中信宏
(2021年6月15日刊行,東京大学出版会[東京大学出版会創立70周年記念出版],東京,xiv+349 pp., 本体価格2,800円(税込価格3,080円), ISBN:978-4-13-063376-5 → コンパニオン・サイト|版元ページ)
- 匿名「読書の動線」東京大学出版会『UP』50(7): 43(2021年7月5日) http://www.utp.or.jp/book/b587272.html
「註」と「索引」についての記事.先日のゲンロンカフェでも「註」の読み方は俎上に載せた.
『読む・打つ・書く』に書いたように,ワタクシ自身は本文中の「註」はいっさい付けない主義で本を書いてきた.註として書く内容があれば本文中に組み込めばすむことであって,わざわざ “読書の動線” を断ち切ってまで,章末・巻末に追い込むのは読者の負担を増やす結果にしかならない.もちろんすべての本を「註なし」にしろというのは暴論だろうし,#ゲンロン210702 の質問にあったように,和歌や漢詩だと本文とは別に「註」を付けるしかない.「註をなくせ」ではなく,むしろ「註付きの本はどのように “読めば” いいのか?」という読書スタイルの問題に帰着する.
とくに専門書では,巻末に註がまとめられていることは多い.ほとんどの読者は本文を最初から読み始めるだろう.途中で註への参照が示されたならば,読者はすかさず意思決定しなければならない.すなわち「このまま本文を読み進めるべきか」それとも「註のページに飛ぶべきか」.「註を無視して本文を読み進める」あるいは「動線を切って註を読みに行く」のいずれの道を選んでも一長一短の中途半端さが残念だ.それもこれも註があるからだろう.しかし,ここで文句を言ってもしかたがないので,それぞれの道を選んだ場合の読書スタイルの改善を考えてみる.
第一の「註を無視して本文を読み進める」を選んだとする.ワタクシ的には註があるたびに “後ろ髪を引かれる” ようでは本文に集中できない.しかたがないから,最初に註を全部読んで覚えてしまってから,本文を読み始めるといういささか倒錯的な読書をするしかない.第二の「動線を切って註を読みに行く」を選んだとすると,最初に指摘したように,読書の “動線” はぶつ切りになってしまい,とても “痛い読書” になってしまう.電子本で註がそのつどポップアップ表示されるというような小洒落た機能がついていればその “痛み” は軽減されるだろうが.
註が別の場所にまとめられている本でよくある事態は「本文→註」の参照はできても,「註→本文」の逆参照ができないことだ.それぞれの註に本文該当ページが明示されていればそういう血圧が上がることにはならないだろう.ワタクシは註のそれぞれに手書きで本文ページを書き込んでいる.根源的な疑問としてそもそも註は「読者に読まれるためにあるのだろうか.本は著者のために書かれるとワタクシは考えている.学術書の場合,本文の典拠を明示・解説するために註を付ける.それだと,註は第一義的に「著者のためにある」わけで,必ずしも「読者のためにある」のではない.
元記事「読書の動線」には「「読書の動線」がうまくつくれているときは,どのように索引項目を拾うべきかが自ずと索引ページの画として見えてくるものだ」と書かれている.読書の動線のよしあしは索引づくりに直結するという重要な指摘だとワタクシは考える.
エリオット・ソーバー[森元良太訳]
(2021年5月20日刊行,勁草書房,東京, viii+352 pp., 本体価格4,500円, ISBN:978-4-326-10294-5 → 目次|版元ページ)
朝からずっと “〆切様” が背後に取り憑いていたのだが,先ほどやっと本書の書評原稿(1,446字)を編集部に打ち返したので,憑き物は落ちたとさ.ふー.訳本2冊(うち1冊は書込み付箋用)と原書を並べて格闘したが,蕎麦センセイは何度登攀してもどこかで滑落してしまう.この本は第2章の統計学哲学チャプターを生き延びればあとは何とかなる.登攀途中に捕れた “蟲” たちは訳者に送付して展翅展足を依頼した.
夜,書評ゲラがさっそく届いたので,修正箇所を確認・加筆してさくっと打ち返す.翌朝,最終ゲラが着弾していたので,ざっとブラウズして受領返信メールを返す.最初の著作『Simplicity』(1975, Clarendon Press, Oxford)を皮切りに,実に40年もの長きにわたる蕎麦センセイの最節約性探検の旅はこれにてめでたく大団円かと思いきや…….
三中信宏
(2021年6月15日刊行,東京大学出版会[東京大学出版会創立70周年記念出版],東京,xiv+349 pp., 本体価格2,800円(税込価格3,080円), ISBN:978-4-13-063376-5 → コンパニオン・サイト|版元ページ)
- あんずこんぶ https://twitter.com/ans_combe/status/1413171237690302468 (2021年7月9日)※ご感想ありがとうございます.本文の改行スタイルはワタクシがいつも書いている「日録」と同じです.書く側からもあれくらいの “間合い” の取り方が快適でした.
- りんかん老人読書日記「『読む・打つ・書く』の教え通り文章を「打つ」と驚くほど捗るのがありがたい」(2021年7月9日) https://hfukuchi.blogspot.com/2021/07/blog-post_9.html
- りんかん老人読書日記「表紙をかじるという斬新な本の読み方があるのに気づいた」(2021年7月10日) https://hfukuchi.blogspot.com/2021/07/blog-post_10.html
酒井順子
(2021年5月28日刊行,角川書店,東京, 238 pp., 本体価格1,500円, ISBN:978-4-04-110989-2 → 目次|版元ページ)
さくっと読了.『東京焼盡』末尾の言葉「野路のむらさめ」の出典が太田道灌とは知らなかった.ちょっとヘンクツな百鬼園先生の『阿房列車』シリーズを再読したくなった. “鉄” 性について著者はこう書いている:「乗っていない路線に乗る経験を積み重ねていくということは,〝経験の収集〟であり,そこに私は男性性を感じずにはいられない」(p. 156).国鉄全線乗車を目論んだ宮脇俊三にもその性向ははっきり見て取れると言う.『時刻表2万キロ』も要再読かなあ.
酒井順子
(2021年5月28日刊行,角川書店,東京, 238 pp., 本体価格1,500円, ISBN:978-4-04-110989-2 → 版元ページ)
“鉄” な巨人ふたりが代わる代わる出演する.
樋口広芳(編)
(2021年6月15日刊行,東京大学出版会,東京, iv+330 pp., 本体価格5,500円, ISBN:978-4-13-060243-3 → 版元ページ)