『午後三時にビールを——酒場作品集』読了

中央公論新社(編)
(2023年6月30日刊行、中央公論新社[中公文庫・ち-8-19]、東京, 257 pp., 本体価格840円, ISBN:978-4-12-207380-7目次版元ページ

読了。酒場の記憶は何年経っても揮発しない。本書に登場する古今の作家たちの酒場エピソードの数々がおもしろくもなつかしい。彼/彼女らの「呑み方」はそろいもそろって “野獣的” かつ “破滅的” 。今ではこんな荒っぽい呑み方(エンドレスなはしご酒とか)をするのんべ世代は野生絶滅しているだろうなあ(どの口がそれを言う)。

なお、この文庫本のカバージャケットの図版は有名な〈銀座ライオン〉を描いた山高登の「『ビアホール』雑感」という作品(p. 253 に解説あり)。銀座ならワタクシは今はなき〈ピルゼン〉が好きだった。そのビアホールで「ビール純粋令」に則った正しいビールを呑みながら太いヴルストをナイフで切っていたら、隣席の見知らぬドイツ人から「そのヴルストは切らずに丸かじりするもんだ」というかなり強い “教育的指導” を受けた記憶がある。

そして、いまワタクシが住んでいる道後温泉街では、朝ワインだろうが、昼ビールだろうが、夜酒だろうが何でもありだ。もうおそれるものは何もない。

—— 版元はすべての本の目次を公開してほしい。本書のようなアンソロジーで目次がなければ、何の手がかりもないし、買う意欲も湧かないでしょう。

『午後三時にビールを——酒場作品集』目次

中央公論新社(編)
(2023年6月30日刊行、中央公論新社[中公文庫・ち-8-19]、東京, 257 pp., 本体価格840円, ISBN:978-4-12-207380-7版元ページ

版元はすべての本の目次を自社サイトで公開してほしい。本書のようなアンソロジーで目次がなければ、何の手がかりもないし、買う意欲も湧かないでしょう。


【目次】
虚無の歌(萩原朔太郎) 9

酒友のいる風景

はせ川(井伏鱒二) 14
中原中也の酒(大岡昇平) 20
青春時代(森敦) 24
酒の追憶(太宰治) 35
酒のあとさき(坂口安吾) 52
池袋の店(山之口獏) 60
音問(檀一雄) 64
詩人のいた店(久世光彦) 70
後家横町/酒のこと(小沼丹) 79

行きつけの店

タンタルス(内田百閒) 88
藪二店(池波正太郎) 108
私と浅草/札幌の夜(吉村昭) 119
鯨の舌(開高健) 128
「ままや」繁昌記(向田邦子) 139
ほろ酔いの背に響く潮騒安西水丸) 153
新宿飲んだくれ/焼酎育ち(田中小実昌) 157

文士の集う場所

「ぼるが」に集う人人(石川桂郎) 172
昼間の酒宴/ある酒場の終焉(寺田博) 182
深夜の酒場で(中上健次) 192
バーの扉を開けるとき(島田雅彦) 194
てんかいそうろう(戌井昭人) 198

酒場に流れる時間

海坊主(吉田健一) 204
幻想酒場〈ルパン・ペルデュ〉(野坂昭如) 214
花の雪散る里(倉橋由美子) 238
ゆうすず(松浦寿輝) 245

 

ビヤホール雑感(山髙登) 253

『花街——遊興空間の近代』読了

加藤政洋
(2024年10月8日刊行、講談社講談社学術文庫・2839)、東京, 221 pp., 本体価格1,020円, ISBN:978-4-06-537358-3目次版元ページ

こういうジャンルの本に袖を引かれる機会が目立って増えてきた。遊廓を含む「花街」がどのような経緯で造られてきたかを日本各地の事例を通して考察する。花街はけっして民間のみの駆動でつくられたのではなく、時代ごとの都市政策(まちづくり)を推し進める政治的・経済的なバックグラウンドがあって初めて出現した明治以降の所産であると著者は言う。各地の花街が「新地」とか「新開地」と称される地域にあることが多かったという著者の指摘に首肯する。拙著『読む・打つ・書く』の「本噺前口上」冒頭で言及した伏見の中書島遊廓も例外ではなく、ワタクシが記憶しているかぎりでは、遊廓のあったエリアは “新開地” と呼ばれていた。

本書の巻末には「花街専門用語」リストがまとめられていてとても便利。なお、道後温泉〈松ヶ枝遊廓〉の古い絵葉書が載っているが(p. 44, 図5左下)、正面門の右手角に写っている建物は今でもそのまま上人坂(旧 “ネオン坂” )の入口に残っている(参照:2024年12月4日(水)日録)。

『在野と独学の近代 —— ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで』読了

志村真幸
(2024年9月25日刊行、中央公論新社中公新書・2821]、東京, viii+267 pp., 本体価格960円, ISBN:978-4-12-102821-1目次版元ページ

「在野」で「独学」したアマチュアたちの列伝。内容の濃い読みでのある新書だった。終章「アマチュア学者たちの行方」に総括されている重要な論点は、在野アマチュアうしの知的コミュニティをどのように組織立てるかだ。西洋的な “ヨコ” の広がりと日本的な “タテ” の階層という対比しつつ考察される今後の方向づけは、現代の「シティズン・サイエンス」の行方とも関わる。良書。

『花街——遊興空間の近代』目次

加藤政洋
(2024年10月8日刊行、講談社講談社学術文庫・2839)、東京, 221 pp., 本体価格1,020円, ISBN:978-4-06-537358-3版元ページ


【目次】
はじめに 3

第1章 花街の立地と形態 15

1 遊廓と花街 15
2 地図のなかの花街 22
3 花街の空間的類型 32

第2章 城下町都市の空隙、市街地化のフロンティア 46

1 和歌山城丸の内の再開発 47
2 鳥取藩主の庭園《衆楽園》 52
3 富山藩主の別邸《千歳御殿》 58
4 「にごりえ」のあとさき 66
5 鹿児島の墓地再開発 69
6 神戸市近郊の《西新開地》 77
7 再び「新開町」をめぐって 96

第3章 近代東京における地区指定の転回 99

1 江戸‐東京の「慣例地」 99
2 《白山》の指定と開発のはじまり 112
3 大正期の地区指定 118
4 昭和初年の「置土産」 127
5 ウォーターフロントの花街 134

第4章 近代大阪における新地開発 150

1 岸本水府の花街案内 150
2 江戸から明治へ 153
3 新遊廓《飛田》の誕生 157
4 《今里新地》の開発 171
5 新地の開発史 177

第5章 謎の赤線を追ってーー鹿児島近郊の近代史 181

1 消えた遊廓とひとつの謎 181
2 都市近郊の近代 185
3 近郊の名所とメディア・イベント 191

 

おわりに 207

 

文献一覧 210
図表出典一覧 [217-216]
花街関連用語集 [221-218]

『心の哲学史』目次

村田純一・渡辺恒夫(編)
(2024年11月12日刊行、講談社、東京, 638+xi pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-06-523522-5版元ページ


【目次】
まえがき(村田純一) 1
第1章 心の哲学史の始まり――一九世紀、科学と哲学の交叉(村田純一) 19
 コラムI エーレンフェルスからゲシュタルト心理学へ(村田憲郎) 133
 コラムII 意志と行為の構造化(直江清隆) 153
第2章 心の科学・心の哲学・身体の現象学――内観・行動主義から心と身体への展開(長滝祥司) 161
第3章 認知システムと発達の理論展開――他者論から現代発達研究へ(柴田健志) 251
 コラムIII 心の理論パラダイムと発達研究(内藤美加) 305
第4章 心理学の哲学を基礎づけたもの――その認識論的背景と現象学的心理学(渡辺恒夫) 319
 コラムIV 現象学的精神医学の興隆と衰退(渡辺恒夫) 413
第5章 認知神経科学現象学――身体と自己の起源を探る潮流(田中彰吾) 427
第6章 心理的なるものを超えた心理学――歩く・食べる・眠るの心理学へ(染谷昌義) 523
あとがき(渡辺恒夫) 633
主要人名索引 [vi-xi]
事項索引 [i-vi]

『新版 禁酒宣言——上林暁・酒場小説集』

上林暁坪内祐三編]
(2024年11月10日刊行、筑摩書房ちくま文庫・か-30-2])、東京, 333 pp., 本体価格900円, ISBN:978-4-480-43988-8版元ページ

先日、つくばのリブロで袖を引かれた文庫本。全編にわたって「禁酒宣言」が書かれていたなら、きっと〈みなか文庫〉の “禁書扱い” となったにちがいないが、実際には「飲酒宣言」みたいな読み心地で安心している。

『飲み・食い・書く』書評

獅子文六
(1961年11月15日刊行、角川書店、東京, 1 plate + 278 pp. → 目次

【書評】※Copyright 2024 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

飲み食いは人生そのもの

どこかで見たような書名ではあるが(笑)、ワタクシがこっそりパクったわけではない。60年も前にこのような本が出されていたことをつい最近になって初めて知ったわけで、それゆえ『読む・打つ・書く』との書名の類似は、罪深い “相同” ではなく、清廉潔白な “非相同” でございます。ワタクシは無実だー。

 

実を言えば、獅子文六という作家の本を手にしたことはワタクシはかつて一度もなかった。本書『飲み・食い・書く』は徹底的に食と酒の自分史本で、幼い頃から晩年に至るまで、何を食ってきたか、何を呑んできたかが連作エッセイから見えてくる。歳をとるとともに著者の食と酒の嗜好が変わってくることも正直に書かれている。飲み食いは人生そのもの。横浜で生まれ育ち、のちにフランス留学を経験した著者は、日本料理・欧風料理(フランス・ドイツ)・中華料理(今の横浜中華街)の食文化のちがいとその歴史的背景に関心を向ける。それにしてもこのお酒の呑み方(量)はアカンやろ。胃潰瘍になるのもむべなるかな。

 

太平洋戦争後、愛媛の宇和島疎開していた著者は伊予料理に接する機会が増える。「要するに、その土地で食うものを食え」(p. 88)という教訓は、風土ごとに異なる食文化と食生活を楽しむ著者の姿勢を物語る。

 

本書「あとがき」の〆のくだりは、食と酒に対する著者の向き合い方を読者に示している:

「しかし、いい年をして、飲み食いの本を出すなんて、多少、気がヒケないでもない。もう、いくらも飲めないし、いくらも食えないのである。もっとも年をとったおかげで、わかる味というものもあるが、ほんとは、黙って飲み、黙って食うのが、一番なのである」(p. 278)

著者が本書を出したのは68歳のときだから、来春ワタクシが “飲み食いの本” を出す頃には歳の差はほぼなくなる。そういう本を出すことについて、まったく “気がヒケ” ることのないワタクシはまだ修行が足りないのかもしれない。

 

最後に、『飲み・食い・書く』の造本について —— ワタクシが手にした初版は函入りの堅牢なハードカバー本で、ほぼ正方形の変型判だ。函と表紙の挿絵もいい感じだが、見出しに使われている活字の字体がとても変わっていて、ほかでは見たことがない。本書は後に角川文庫のラインナップに入り、『獅子文六全集(全16巻)』にも所収されているという。しかし、たとえ本文のテクストが別の本に移せても、この造本と活字書体までは移せないだろう。原書を撫で回すひそかなシアワセをワタクシは黙って味わっている。

 

三中信宏(2024年11月8日公開|2024年11月11日加筆|2024年11月14日修正)