『教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』

竹内洋

(2003年7月25日刊行,中央公論新社中公新書1704],東京,ISBN:4121017048版元ページ

【書評】※Copyright 2003 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



大正時代の旧制高校の時代から現代の大学にいたるまで,約1世紀にわたる日本の学生の「読書によって涵養される教養」の移り変りを論じた本である.著者の主たる視点が「教養」それ自体ではなく,その背後にある「教養主義」に置かれていることが,この本の切り口を新鮮にしている.詳細な資料を踏まえた論議が進められており,いままで知らなかった意外な点も多々発見される.刺激的な内容の本だと思う.



大正教養主義が呼び込んだマルクス主義によって「教養」はいったんは否定された.しかし,その後マルクス主義が政治的に排除された空きニッチを埋めるように,昭和教養主義が復活し大きく開花したと著者は言う(第1章).ピエール・ブルデューの「ハビトゥス」論を踏まえて,著者は教養主義心理的に支えてきた基盤を分析する(第2,3章).



帝大文学部学士を例に取り,旧制高校から大学にいたるかつての学生の出身階層・生活様式・卒後進路などを全体として振り返りながら,著者は教養主義を支えたハビトゥスに「農村的」すなわち「刻苦勉励的」という中核要素を見出す.すなわち,日本型教養主義は「遊民的」な都市ブルジョア文化とは無縁であるという結論だ.カテゴリーの切り分け方が少々荒っぽい気はするが,対置図式としては確かにおもしろいと思う.それと関連づけて,都市型「擬似ブルジョア」出自の石原慎太郎がこのような教養主義をとても毛嫌いしていた心理的背景が分析されている.



大正から昭和にかけての学生の「教養主義」が「本」と密接に結びついていたことを象徴しているのが岩波書店だと著者はみなしている.その創業者の個人史を振り返りつつ,岩波書店教養主義との「共進化」を述べる第4章はたいへんおもしろい.なぜ,岩波書店は「西洋翻訳もの」を重視してきたのかを官学主導のアカデミズムとの文化的連携という観点から切り込んでいる.日本の教養主義の根底に「西洋文化志向」(p.170)であり,岩波書店はその方向づけをうまく支え推進してきたということだ.ドイツのレクラム文庫を模した岩波文庫は,サイズこそ似せているが,精神的には異質だった –– すなわち日本の「教養」は“Bildung”ではなかったということ.



第5章は第二次大戦敗戦後の教養主義の行方を追う.敗戦とそれに続く旧制高校の廃止をともなう学制の変革は,けっして教養主義の衰退につながったわけではなく,むしろ逆に特定層の学生にとどまらない裾野への教養主義の広い普及につながったと著者は考える.1970年代に入る前まではそういう状況が続いた.しかし,学生運動の高まりは急速に「教養主義」に対決するようになる.終章では,長年続いた教養主義がどのように崩れていったのかを今日にいたる流れとしてとらえる.著者の見解では,学問や知識に対する学生運動の挑戦は怨嗟(将来への不安)の表明としての「家庭内暴力」であり,それに続く世代の学生は,さらに一歩進んで,教養主義そのものに対する距離を置く「家庭内別居」の状態にいたった(p.224).そして,学生の購読書籍調査から見えてくるのは,「日本の大学生文化から規範文化としての教養主義が大きく衰退した」のが「七〇年代から八〇年代にかけて」であるという推測である(p.226).



教養主義の喪失は知識人の公共圏それ自体の喪失を意味すると言う著者は,最後の部分でどのようにそれを復活させるのかの具体策を述べているわけでは必ずしもなく,教養というものを再考するきっかけが得られたと言うにとどまっている.むしろ,われわれ自身がそれについて考えなければならないということだ.



欲を言えば,岩波書店だけにとどまらず書店業界が教養主義をどのように支えてきたのかについてもっと知りたかった.



三中信宏(21/October/2003)

【目次】
序章 教養主義が輝いたとき 3
1章 エリート学生文化のうねり 27
2章 五〇年代キャンパス文化と石原慎太郎 61
3章 帝大文学士とノルマリアン 85
4章 岩波書店という文化装置 131
5章 文化戦略と覇権 169
終章 アンティ・クライマックス 205
あとがき 247
主要参考文献 251
人名・事項索引 278