『グロテスクな教養』

高田里惠子

(2005年6月10日刊行,筑摩書房ちくま新書539],東京,ISBN:4480062394版元ページ

【書評】※Copyright 2005 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



明治以降の日本で展開された「教養」あるいは「教養主義」をめぐるさまざまな主張をいま一度みなおそうという本.「教養言説の展覧会」(p. 7)という著者のことば通り,数多くの大学教員・評論家・作家らの遺した文章を手がかりにして,近代日本人の人生にとって教養とはどのような意味を持つものだったのかを考察する.



いたるところに,著者独特の“皮肉胡椒”が強めにふられたり,“あてこすり生姜”がたっぷりすり込まれていて,教養のないワタクシには意味がよくつかめない箇所もあった.しかし,全体としてみたとき,本書はヌエのような教養をめぐる人びとの思惑(修飾関係をあえて定めない)をうまくすくいあげているように感じられた.



第1章は,かつての「旧制高校」に生息していたエリート学生たちをがんじがらめにしていた強迫的教養志向のエピソード.「僕はたんなる受験秀才じゃないぞ」(p. 31)という本書全体に及ぶライトモチーフが提示される.さまざまな世代の「男の子」がこの共通ライトモチーフのヴァリエーションを奏でていると著者は指摘する.竹内洋教養主義の没落』(2003年,中公新書1704)を参照しつつ,著者は日本のエリート男子学生(とそのなれの果て)は,閉じた社会の中で「他者の目」を気にしながら「読まねばならない教養書」をひもといていたのだと言う(p. 39).



第2章は,戦争が教養主義に与えた影響をとりあげる.とりわけ印象的な記述がある.当時の(今も?)日本人にとって教養の最大の「敵」とは「職」に就くことだと言う.それは「日本の世間そのものが実は異様なまでに反教養主義的」(p. 99)だからだと.その原因(遠因と近因)について多くは語られていない(引用されている苅谷剛彦を読むべきか).しかし,その帰結ははっきり書かれている:「急激な近代化の過程で,教養への東洋型尊敬の伝統も失い,しかし西洋型尊敬のかたちも獲得しなかった我が国の悲しい特徴の一つなのである」(p. 101).高度な教育を受けた者が実社会の中で相応の尊敬を受けられないという,今なお続く現実のルーツはここまでたどれるということだろう.



帝国大学の成立の過程で,「実学」以外の「教養科目」が冷遇され,結果として大学の外で独学するしかなかった,という当時の状況が,教養と出版界とを結びつける.続く第3章では,出版社がどのようにして「商品としての教養」を売りつけたかが考察される.とくに,大学から事実上“放逐”された人文系の教養科目と出版社とのもたれあいの成立について,著者は1980年代のニューアカデミズムと出版社との親密な関係を例に挙げて論じている.旧制高校の強迫的教養主義学生たちが「閉じたコミュニティ」をつくっていたのとまったく同じく,“ニューアカ”もまた「特権的友情共同体」(p. 164)をつくっていたのだという.



個人的なことだが,あれだけ売れまくった浅田彰『構造と力』(勁草書房)は結局まったく触りもしなかったな.あの世界がにぎやかだったことはもちろん知ってはいたのだが.そういう「集合体」が好きではなかったのだろう(今も).第1章で,山本義隆磁力と重力の発見』(みすず書房)の山形浩生書評(朝日新聞掲載)をとりあげた一節がある.著者がいう「元・東大全共闘代表の書物にはオーラがかかる」(p. 30)のはしかたがないとしても,それをすっぽりかぶせたままでは書評にならないでしょうというのがぼくが引っかかりを覚えた点だ.



最後の第4章は,階級社会・日本の中での「女」の生き方と教養との関わりを論じる.正直言って,この章での主張はしみ込んでこなかった.同意とか反論の前に著者の主張が表面を流れ去っていったという心地だ.



排他的・階級的・打算的という点で,「教養[主義]」は確かに“グロテスク”なのかも.竹内洋の『教養主義の没落』と比較して,本書の方が教養主義のもつ「より冥い部分」に光を当てている.「教養」それ自体がグローバルにはつかみどころがない(ローカルな前提知識ゆえ)ものだから,「教養言説」が輪をかけて変幻自在になる傾向があるのも無理ないか.



自分の知っていることの範囲が他者にも共有されていると仮定するとたいていは痛い目を見る(教壇でも対談でも).たまたま偶然にも,同世代的・同時代的に共有されている知恵や経験というものはあるのだろうが,それを越えて個人個人が意識的に獲得する知識の幅には重なりとズレがきっとあるはずで,社会階層的な「教養主義」がそのズレを最小化し重なりを最大化する作用を及ぼしていたとするなら,教養主義が衰退した現在はズレまくっているのかもしれない.



三中信宏(18/June/2005)



【目次】
はじめに 7
第1章 教養,あるいは「男の子いかに生くべきか」 11
第2章 戦争,そして教養がよみがえる 71
第3章 出版社,この教養の敵 125
第4章 女,教養と階級が交わる場所 175
少し長いあとがき 229
引用文献・参照文献 237