『時の娘たち』

鷲津浩子

(2005年4月1日刊行,南雲堂,東京,328 pp.,本体価格3,800円,ISBN:4523292973目次



【書評(まとめて)】

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リアル書店で“実物”を手に取らなかったら,きっと一生読まないまま通り過ぎただろう.本書は18〜19世紀のアメリカ(独立戦争から南北戦争の時代:1780年代〜1850年代)の“文学”における「アート」と「ネイチャー」との関わり合いを論じた本だ.ただし,これらのキーワードを“現代風”に解釈してはいけないと著者は「序論」のはじめで釘を刺す.この点が本書の目的にも連なる:



本書が採択したアプローチは,「アート」や「ネイチャー」が現在とは別の意味を持っていた南北戦争前のアメリカを再構築し,そこに「文学」を置き直してみることである.(p. 8)


では,これらのキーワードは当時どのような意味と文脈を備えていたのだろうか.冒頭に置かれている20ページ足らずの「序論」は本書全体を理解する上で重要だ.そこでは,中世的な世界観における〈スーパーネイチャー=メタフィジックス=モラル・サイエンス〉vs.〈ネイチャー=フィジックス=ナチュラル・サイエンス〉という対置図式のもとで,スーパーネイチャーによってネイチャーを本質的・演繹的に説明しようとする姿勢から,しだいに数量的・帰納的な説明への転換(“スーパーネイチャー”の撤退を伴う)していった過程が明確に述べられている.しかも,帰納主義が「分類の問題」に躓いて,再び法則定立を目指すようになったという経緯が興味深い:



だが,ここで忘れてはならないのは,それまでの普遍的大前提から個別的具体例を説明していたのが,個別的具体例から普遍的大原則を導きだすことに変化したとしても,しかもその変化がいかにスーパーネイチャーの退却を余儀なくさせるほど斬新であろうと,結局のところは普遍と個別の関係が逆転しただけで,登場する項目に変化はないということである.(p. 15)


では,もうひとつのキーワードである「アート」は上の図式のいったいどこに位置づけられるのか.著者は,スーパーネイチャーとネイチャーのさらに下位にアートが位置していたと言う(pp. 18-19).すなわち,技芸としてのアートは,スーパーネイチャーが「哲学」へ,ネイチャーが「科学」へと変身していく時代に合わせて,「技術(テクノロジー)」としての特徴を帯びていった(とくにアメリカでは).

第1部〈アート〉では,テクノロジーとしてのアートに焦点を当て,当時のアメリカ文学作品を取り上げて,その影響について論じる.自然や科学技術に関する話題との接点がいろいろなところで見えてくるのがおもしろい.とりわけ,“からくり”に対する著者の関心ぶりはただものではなさそうだ.個人的には,第3章第2節「空の座標」で論じられているエドガー・アラン・ポウと“気球”との関わりがおもしろかった.ポウはどーでもええのですが,気球をめぐる逸話が紹介されていて楽しめた.

第2部〈ネイチャー〉は,アメリカ自然誌の系譜をたどる.とくに,「自然誌」から「自然史」への転換が当時のアメリカでどのように起こったのかが著者の関心の中核にある.逆に言えば,ダーウィン以前は,古来の“存在の連鎖”の時間化という枠組みのもとにあったという:



少なくとも十八世紀後半から十九世紀前半のアメリカで隆盛を誇った学問分野「ナチュラル・ヒストリー」を自然史すなわち自然の歴史ととらえるのは,間違いだということである.・・・ この場合の「ヒストリー」とは,森羅万象を網羅し博覧する展示会,神の意匠[デザイン]を具現化した「自然という書物[ブック・オヴ・ネイチャー]」の書誌,すなわち自然「誌」を意味していたのである.(pp. 165-166)


この第2部で興味を引くのは,エマーソンらの当時の文学作品の分析を通じて,「ナチュラリスト」ということば自体の意味が現在とは異なっていたという指摘だ.著者は,彼は“存在の連鎖”のもとでナチュラリストたらんと欲し,自然の序列化と体系化を目指す「分類学精神」を育んでいたと言う



ここ[エマソンの著作群]に見られるのは,博物館と同じ思想,すなわち世界中の生物・無生物を蒐集し,同種ごとに分類し,序列をつけようとする意志である.しかも,そこには「進化」「退化」という方向性までもが読み取れる.(p. 223)


本の「書名」はもちろん自由につけていいんだけど,『時の娘たち』という日本語タイトルだけを見て,この本が前世紀のアメリ博物学の歴史あるいはネイチャー・ライティングの歴史に関する本であることを連想せよというのはぜーったい無理でしょう.一方,英語タイトルは『Daughters of Time: Art and Nature in Antebellum American Prose』となっている.このサブタイトルが日本語でもちゃんと付けられていたら,もう少し読者層が自然科学者側にも広がったのではないか?

三中信宏(6/October/2005)

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