『唐草抄:装飾文様生命誌』

伊藤俊次

(2005年12月15日刊行,牛若丸[発行]/星雲社[発売],東京, 258 pp., 本体価格2,800円, ISBN:4-434-07164-5目次

ただただ唐草模様で埋め尽くされている.これまた文様に関する“非生命体”の系統学の本だった.年の瀬の収穫.エジプトに源を発する「唐草模様」が発祥地から東西に分散しつつ,どのように変容していったかに著者は関心をもっている.著者は,意図せずして,Ernst Haeckel の『自然創造史』(1868年刊行,Georg Reimar,ISBN:もちろんなし)と同一の地域分岐図に到達している(とくに,pp. 84-85の〈唐草ワールドマップ〉はヘッケルの系統樹そっくり).著者は「唐草」を〈生命の樹〉と関連づけて,その変遷を論じている.むしろ,ヘッケルのツリーが逆にこの著者と同じ「唐草系統樹」のイコンとみなせるという新たな発見か.よく見れば確かにうねうねうずうずとした Stammbaum だ.

 

全編を通じて,多くの図像と写真が印象的な本だが,とくに,最後の方に出てくる,資生堂の“唐草”主義と最後の“唐草ミーム”の話題がおもしろい.非生物系統の話のネタとして使える.最終章「四次元の唐草,新たな展開」にこんなくだりがある:

 

〈唐草の進化と発生〉それぞれの生命の歴史があり,それぞれは蔓でしっかりつながれているかのように相互に密接に関連しあっている.源泉(ルーツ)や基本構造は同じでもそれが多種多様な形であらわれてくる.だから重要なのはそれぞれのかたちや構造というより,それらの関係と流れを知ることなのかもしれない.唐草の歴史においてもこのことがあてはまるだろう.(p. 249)

 

また,著者は「唐草」模様を存続させてきたヒトの嗜好についても言及している:

 

唐草は最も基本的な文様であり,なぜこの文様がかくも長きに渡り,人々の心の奥に知らずに折り込まれていったのかは今一度深く考察してみる必要があるだろう.(pp. 256-257)

 

著者自身が前半の章で指摘しているように,汎世界的な「生命の樹」信仰のような思潮が“唐草”の存続を可能にしてきたひとつの理由だとぼくは思う.

 

何だか工作舎国書刊行会みたいな装幀でなごむ.しかもこのご時世に函入りとは.それにしても,この本の装幀は凝っている.使われている紙から造本から「別格」な手触り.牛若丸の出す本が平均的にこういうレベルの高さだとしたら,今後チェックしておく必要があるかも.