『西洋音楽史:「クラシック」の黄昏』

岡田暁生

(2005年10月25日刊行,中央公論新社中公新書1816], ISBN:4121018168



第1章のグレゴリオ聖歌からはじまって,ルネサンスバロックを経て,第4章のウィーン古典派まで.音楽史を大きく見渡しているところがとてもいいです.ペロタン! もう一度,ヒリヤード・アンサンブルの CD を引っ張り出してくるか.確かに八分の六拍子がペロタンの特徴だという指摘はよくわかる.スティーヴ・ライヒの作品「プロヴァーブ」は,歌詞はヴィトゲンシュタインからとっていたが,曲想はペロタンから得ていたはずだ(確か).

「リヒアルト・シュトラウスとマンモス・オーケストラ」という1節(pp. 188-191)で,ロマン派音楽の「物量作戦」と「ハッタリ」について指摘している.確かに交響詩アルプス交響曲〉の風音(windmachine)や雷音(thundermachine)なんていうのを見ると,「ハッタリかましやがって」と感じるのもムリはない.でも,〈アルプス交響曲〉の場合,ふたりのティンパニストによる「遠雷」の接近の描写の方がはるかにリアルだったりする.オーケストレーションの勝利.

著者は読み方によってはとても“悲観的”なスタンスにあるように見えるのだが,正しいのかもね.たとえば交響曲を聴くことが一種の「宗教体験」であったり(p. 192),音楽を聴くことで「感動」したがる聴衆がいる(p. 229)かぎり,“クラシック音楽”はこれからも末永く存命し続けるという指摘は,その通りでしょう.後期ロマン派までは充実した記述だったが,20世紀以降の現代音楽については駆け足過ぎたのではないか.メシアンやタケミツがいないんですけど…….随所に掲載されている昔の演奏会の絵はおもしろい.

本書を読んでいてひとつ気になるのは,“クラシック音楽”を社会的文脈の中で相対化しようという著者の立場が,場合によってはいい方向に働いているのだが(たとえば J・S・バッハの音楽に関する見解のように),いろんなジャンルの音楽を全部ひっくるめて「同格扱い」されてしまって(とくに最終章),その結果,著者の論点がよくわからなくなってしまったという弊害もあるとぼくは感じた.