『知のツールとしての科学:バイオサイエンスの基礎はいかにして築かれたか(上・下)』

ジョン・A・ムーア著/青戸偕爾訳

(2003年1月15日刊行,学会出版センター,ISBN:4762230073 [上巻] / ISBN:4762230081 [下巻])

【書評】

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「知は力なり」 —— 知識獲得の手段としての生物学の歴史をたどる

こういう歴史書のスタイルもあるのかと新鮮な印象を受ける.生物学全般にわたる通史なのだが,単に歴史的経緯をたどっただけの本ではない.生物学の全領域をカバーしているわけでもない.むしろ,本書は,生物学の歴史をたどることにより,「自然界についての知識であると同時に,その知識を獲得する方法についての知識でもある」(下巻, p.572)生物学の研究姿勢を明らかにしようとする.



題名の「知のツールとしての科学」は,確かに本書全体を貫くテーマを掲げるスローガンだ.それは,本書が1980年代後半に実行されたアメリカ動物学会の「知のツールとしての科学」プロジェクトの出力のひとつであることを示す.つまり,単なる回顧的な歴史趣味から本書は書かれたのではない.むしろ,新たな世紀を前にした生物学界が過去2000年に及ぶ長い歴史をどのように継承して,将来へのビジョンを描いていくのかといういわば「攻めの視点」のもとに,ツールとしての生物学の基盤を再認識する試みである.



先駆者たちの自然学思想を概観した第1部では,生物学という「科学する心」がどのように育まれてきたのかをたどる.精神的存在によって世界を理解しようとする宗教とは異なり,科学は「自然現象を基にして自然界の事物や出来事を説明する」(上巻, p.33).生物学においても,生物学的知見が得られたとき,どのようにして仮説を立て,それをテストしたり,推論を重ねたりするのかが知を得るツールとして確立されていった(第5章).



続く第2〜4部では,進化学・遺伝学・発生学という今日の生物学で重要な位置を占めている領域ごとに,どのように問題状況が認識され,その解決への努力がどのようになされたのかが論じられる.当時の資料にまでさかのぼった詳細な記述は臨場感を感じさせる.とくに,遺伝学の歴史を扱った第3部は現在の分子生物学へのつながりを意識した書き方がされているように感じた.



生物学教育に長い経験をもつ著者の手になる本書は,とりわけ生物学を教える立場にある読者には得るものが多いだろう.「我々は今,人類の永続的な未来にとって,生物学の知識こそが不可欠であるという,歴史的な瞬間に到達している」(上巻, p.4)という序論の言葉は,「知のツール」としての生物学の意義を教える「攻めの生物学史」が,これまでにもまして生物学の教育課程の中で必要とされていることを物語っている.

三中信宏(5/March/2003)

翻訳は悪くはないと思うが,まちがい(あるいはそれらしき箇所)は散見される:

  1. p.197:「ヒトリガの一種 Biston betularia」→「シャクガの一種オオシモフリエダシャク〜」〈シャクガとヒトリガはちがうでー,そんなもん見たらわかるやん,なあ?〉
  2. p.207:「ブリッジウォター論文集」→「ブリッジウォーター論集(論考)」〈少なくとも今でいう「論文集」ではないでしょう〉
  3. p.216:「バイオシステマティックス(生物系統学)と」→「バイオシステマティックスと」〈よけいな訳注は混乱のもと〉
  4. p.290:「帰納推計科学の歴史家であるヒュウェルが」→「帰納諸科学の〜」〈inductive sciences は Whewell のキーワード〉
  5. p.333:「オーガスティン教団」→「アウグスティノ教団」〈好みの問題かもしれませんが...〉
  6. p.428:「物理学者であるシュレジンガー E. Schroeqdinger」→「〜であるシュレーディンガー〜」〈うう,これもまた好みの問題??〉
  7. pp.37,231,475:『種の起源』は pp.37と231で,『種の起原』はp.475で登場.〈ふふふ,見落としたな.〉
  8. p.479:「『自然創世記』」→『自然創造史』〈ヘッケルが化けて出るぞお〉