『絵はがきの時代』

細馬宏通

(2006年6月7日刊行,青土社ISBN:4791762746

【書評】※Copyright 2006 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



前著である細馬宏通浅草十二階:塔の眺めと〈近代〉のまなざし』(2001年6月01日刊行,青土社ISBN:4791758935目次)と同じ触感あり(どちらも「299ページ」という偶然一致だけではなく).遥か昔に倒壊して現実には昇れないはずの「十二階」を一段ずつ昇っていく読後感が前著の味わいだった.今回の新刊は,読者にあえて“スケール・エラー”を犯させて,「古絵はがき」のワールドに迷い込ませるという趣向がおもしろい.風景画やアイドル画などすぐに想像できる絵はがきばかりではない.透かし絵,立体視,災害図絵など,絵はがきの裾野の広がりには驚いてしまう.



しかも,著者は単にそれらの古絵はがきを蒐集しているだけではない.まったく見知らぬ差出人が,やはりまったく見知らぬ受取人に出した絵はがきのひとつひとつに入り込み,出し手と受け手の人間としての関わり合い,さらにはその背後に広がる当時の社会や風俗についてまで推論を進めている.他人のやりとりをそっと覗き見るような,少しばかりイケナイことをしているような気持にさせられる.



「アルプスからの挨拶」の章では,現在のような“観光資源”ではなく,むしろ“畏敬(恐怖)”の対象としてのアルプス山脈について,絵はがきから見えてくる眺めが語られる.サイモン・シャーマの大著:『風景と記憶』でのアルプス論を想起させる.



また,「色彩と痕跡」の章では,写真絵はがきと彩色絵はがきが論じられている.たとえば,昨年出た田中正明(編)『柳田國男の絵葉書:家族に当てた二七〇通』を見ると,みごとな写真・彩色絵はがきがかつては流通していたことがわかる.あるいは,エルンスト・ヘッケルの完全手彩色の書簡はどうだろう:Norbert Elsner(編)『Das ungelöste Welträtsel : Frida von Uslar-Gleichen und Ernst Haeckel [3 Bände]』.チャールズ・ダーウィンとはちがって,卓越した画才があったヘッケルの手になる絵はがきは,そのひとつひとつが[覗き]見る者の想像力をかき立てる.ヘッケルが愛人に宛てた書簡は,本書の言う絵はがき文化の「全盛期」,すなわち19世紀末から20世紀初めという時代にちょうど合致していた.絵はがきと封書では根本的にちがうものがあることはわかっているのだが,“絵”を介して語り合う時代があったことは確かだろう.



—— デジカメとメールの影で,今ではほとんどその“痕跡”しか残っていない「絵はがき文化」を論じた本書は,もう忘れられてしまったさまざまな周縁的ことがらを読む者にそっと開封してくれる.覗いていいんですか,細馬さん?



本書目次著者ページ

脇道ネタ(1):この本の「ミカドとゲイシャの国」の章で言及されていた,ギルバート&サリヴァンオペレッタ〈ミカド〉に登場する“われら学校帰りの三人娘”というキャラクターは,プッチーニの〈トゥーランドット〉の準主役“ピン・ポン・パン”の祖型と考えていいのかしら.「シラー翻案ウェーバー作曲」の「トゥーランドット」が p. 195 で引用されているので,きっと関係があるのではないかと推測するのですが.

脇道ネタ(2):先日読了した青木正美古本商売 蒐集三十年』(1984年7月15日刊行,日本古書通信社,ISBN なし→目次)の話題は,単に狭義の「古書」だけではなく,戦後の漫画本などの周縁的な「紙もの」にも及んでいる.とくにおもしろいのは,古い「絵はがき」の古書店業界での扱いだ.もともと商品価値が認められなかったのに,あるときからいきなり高い価格で取引されるようになったのだという.国内外を問わず古絵葉書の愛好者は多いらしく,国内の同好会の経緯についての言及もある.絵はがきの世界はディープで,生半可な知識ではヤケドしてしまうそうだ.

脇道ネタ(3):青木本を読んだ勢いで,いささか“絵はがき化”しつつあったところ,帰りに寄った神保町の〈書肆アクセス〉で,『彷書月刊』などいくつかの雑誌が軒並み「古絵葉書」特集を組んでいることを知った.どーしたんでしょ,これ.予想通り,東京堂書店の新刊コーナーには『絵はがきの時代』が威圧的にどんと平積みされていました.きっと近所にある青土社の“陰謀”にちがいない.

三中信宏(29 May 2006|5 March 2018 修正)