『きだみのる:自由になるためのメソッド』

太田越知明

(2007年2月15日刊行,未知谷,ISBN:9784896421828

【書評】

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この「人生」はアンタッチャブルだと思う.『気違い部落周遊紀行』で有名なきだみのる(1895-1975)の伝記.第1部は生い立ちからフランス留学の頃まで.二十歳前の流浪の末,1912年に月島に流れ着いた少年きだみのるは,開校されたばかりのアテネ・フランセで仕事をする機会を得て,フランスに留学.アテネ・フランセ創設者のジョセフ・コットがレヴィ・ブリュルと友人で,そのつながりでパリではマルセル・モースに師事することになる.滞仏時代には画家・岡本太郎とも接触があったとか(両者の関係にはやや問題ありか).その後,北アフリカのモロッコをめぐった後に帰国する.その顛末は,第二次世界大戦中に出版された『モロッコ紀行』に書かれているそうだ.



留学前後の時期に,本名“山田吉彦”の名でいくつかフランス語の翻訳書を出した.たとえば,レヴィ-ブリュル『未開社会の思惟』やラマルク『動物哲学』(小泉丹と共訳)の翻訳を手がけたが,とりわけ有名なのは『ファーブル昆虫記』の全訳を岩波文庫から出したことだ(1930〜1952年:部分的に林達夫との共訳).それにしても,戦後の『気違い部落周遊紀行』で有名な“きだみのる”が『ファーブル昆虫記』訳者の“山田吉彦”と同一人物であるとは今の今まで気がつかなかった…….



第2部は,戦後の「気違い部落」の話.きだみのるの後半生の“むら”での陋屋生活はスゴいなあ.八王子のこの山村にきだが棲むようになってからも,彼の“部落論”をめぐってはいろいろと紆余曲折があったらしい.といっても,その紆余曲折は,棲んでいた「村」の中での人間関係に関わることが主であって,当時の日本の社会学あるいは民俗学という場での論議の深まりは最後までなかったと著者は指摘する.



彼[きだみのる]の論が深まりを見せないまま放置されたことには,同情すべき余地もある.踏み込んだ批評や反応が皆無に等しかったからだ.たとえば評判の高かった『気違い部落周遊紀行』について,何が語られたのかをみても,どう扱って良いか困り果てている評者の姿勢が目立つばかりなのである.残っているのは,山村という,彼らにとっては聖なるフィールドに異説を立てられた左翼陣営からの批判である.(pp. 316-317)



最終章で,著者は民俗学者宮本常一との比較を試みている(pp. 320-323).両者がそのスタイルにおいて鋭い対比を見せていた点が印象的だ.いくつかの点での比較をした上で,こう総括される:



宮本ときだの間には,もっと本質的な違いがある.きだは人間を見るとき,個人に注目するのではなく共同性からとらえようとしている.だから篤農家にせよ運命の放浪者にせよ,きだの本には宮本の書くような人間は登場しない.きだが見ているのは,個人を動かしている社会の枠組みや構造である.これは,精神が生み出したものに安易に価値を置かないと言っている彼の懐疑論と,科学志向の精神に根ざしたものである.だから揺れやすい個々の人間よりも,堅固で動揺しにくい,共同の精神性を追うのである.(p. 323)



ぼくは,稀覯書らしい『モロッコ紀行』はもちろんのこと,代表作である『気違い部落周遊紀行』も手に取ったこともない.遠ざけたというのではなく,その機会がなかっただけのことだ.しかし,この伝記を読んで,“きだみのるの本を読もう”という気にはならない.むしろ,“きだみのるの世界に入ろう”という覚悟をもった人が遡っていけばいいのだと感じた.



最後に本書の造本について一言 —— こういうかっちりした本のつくり方は未知谷ならではだ.ダストジャケットをはずすと,近頃珍しい「クロス装」の本体だ.手触りいいなあ.カタツムリの意匠もとてもよろしい.心ゆくまで触りたい人は,借りたりしないで,自分で買うように.そういう本です.



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三中信宏(20 February 2007)