『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』

和田敦彦

(2007年2月28日刊行,新曜社ISBN:9784788510364



まずは序章「日本の書物・イン・アメリカ」.戦前のアメリカで議会図書館や主要大学に日本語蔵書をつくったという女性・坂西志保の活躍がとても輝いている.そして,全米を走り回ったという「日本参考図書館」という移動図書館もおもしろい.さらに,坂西を要とする当時の日本の古書店業界(反町茂雄横山重という名前が見える)とのつながりもあったという.この本はアタリです.

第1章「対立する国家、対立するコレクション —— 蔵書史の起源をめぐって 」と第2章「蔵書の記憶、蔵書の記録 —— コロンビア大学の日本語蔵書史から」を60ページほど読む.第1章では,戦前(1920〜30年代)から戦中(1940年代)のアメリカの大学や図書館で日本語蔵書がどのように形成されたかを論じる.多くの人物が登場するが,フランツ・ボアズやドナルド・キーン,そしてライシャワー兄弟などが思わぬところで顔を出すのがおもしろい.外国で日本語蔵書をつくりあげるという行為は,単に「本を集める」というだけにとどまらず,外国のなかでの「国威発揚」という意図が見え隠れしていたと著者は言う(p. 66).

次の第2章では,コロンビア大学の日本語蔵書史に焦点を当てる.英語圏の中で「日本語の蔵書」を運用していく上での大きな問題ひとつは目録作成だったと著者は指摘する(p. 82).和書の内容を踏まえて適切な図書カテゴリーに分類していくかは,日本語に通じたライブラリアンの力がなければどうしようもない.彼らの知識や力量がなければ和書の書名や著者名さえ読み取れないからだ(p. 89).

著者は,蔵書の形成史(「リテラシー史」)を通して考察することについてこう述べている:




リテラシー史は,単にいつ,どこで,どのような本が入った,という単なる記録の集積ではない.それはむしろ書物をめぐる人びとの記憶の集積といった方がよいかもしれない.ある書物がその場所にあるのは,それを,誰が,なぜ,どのようにもたらし,あるいは探し,扱ったか,といった書物をめぐる行為の集積の上にあるのだ.そして調べているうちに,それぞれの人びととその行為は,のがれがたくその時代や状況のなかに編み込まれ,翻弄され,変貌してきたことこと[ママ]が見えてくる.それこそが蔵書の歴史をとおして何かを「考える」,「とらえる」というリテラシー史の意味なのである.(p. 97)



モノとしての「本」(まさにトークン)のたどった歴史を見ようという姿勢がうかがえる.

以上,第2章まで.

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