『Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives』

David Sloan Wilson

(2007年3月27日刊行,Delacorte Press,x+390 pp.,ISBN:9780385340212 [hbk] / ISBN:9780385340922 [pbk] → 目次著者サイト



【書評】

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本書『Evolution for Everyone』は,著者ディヴィッド・スローン・ウィルソンが実際に勤務先の大学で開講している講義名をタイトルにしている.彼は,さまざまな経歴と関心をもつ学生たちとともに,一般進化論プログラム〈EvoS〉を勤務先の大学で開講し,“進化”という観念が照らす森羅万象の広大な領域をかけめぐる.

著者は,進化過程における群淘汰(group selection)の数学モデルで昔から有名な研究者である.実際,「groups of organisms」という従来的な視点から,「groups as organisms」という著者の持論は通奏低音のようにいつでも聞こえてくる.群淘汰と個体淘汰をめぐって自然淘汰理論の中で長年にわたって論争が続いてきた.著者の形而上学では,「群」と「個体」とはある連続的なスペクトルの両端であり,質的なちがいは何もないことになる.実際,本書を読めば,群淘汰(複数レベル淘汰)に則った世界の見方を体験することができるだろう.群のための行動は善であり,個体のための行動は悪であるという“進化的倫理”はシンプルかつこわいほど明快だ.

本書では一般読者には難解な数式やモデルはいっさい登場しない.むしろ,どちらかといえば,ナチュラル・ヒストリーとしての色合いが意外なほど濃厚な本であり,著者自身がフィールドでの研究材料としている糞虫の生態をはじめとして,バクテリアから植物,そしてヒトにいたるまで,多くの生物群が登場する.とりわけ,最後から二つめの章「帰ってきたアマチュア・ナチュラリスト」では,自らの人生をふりかえりつつ,著名な小説家を父にもつ息子がいかにして進化学者となって再びもどってきたかを語っているのが印象的だ.

体裁としては「章」構成をとっているが,各章の長さは平均して十ページ程度の短さだ.したがって,全36章からなる本書は,生物進化 をめぐる「エッセイ集」として読まれるべきものだろう.しかし,グールドのエッセイ集に見られるような,ときとして散漫な文章の集積ではなく,本書は章の間のクロスレファレンスが有機的に張り巡らされていて,全体としてひとつのストーリーになるような工夫がされているようだ.巻末の註と文献リストそしてURL集が参考になる.

本書には,自伝的な章もあれば,著者の近くにいる研究者群像のエピソード,そして人間にかかわる進化生物学的視点がもたらす新しいヴィジョン,さらには進化的思考に反対し続ける創造論者やID支持者たちへの批判もある.そして,芸術から宗教にいたる人間の社会的・文化的側面を進化の観点から解きほぐす.このように話題は多岐にわたるが,全体を通して「自然淘汰思考(natural selection thinking)」がどこまで普遍的かを伝えることが一貫した柱になっている.散在する研究領域を進化という“共通言語”で結ばれた「合衆国」(p. 345)として結びつけようというのが著者の夢だ.

著者の前著『Darwin's Cathedral: Darwin, Religion, and the Nature of Society』(2002年刊行,University of Chicago Press)以降の宗教に関する著者自身の長い論議の続きも垣間見える.キリスト教に対する執拗な論議は,そのような受け皿をもともともたない日本の読者にとっては関心が薄いかもしれないが,世界的に見たときの進化思想の受容と反発を考えるときこの論点は避けては通れないだろう.

文理を問わず,一般向けの読者を想定した本書の内容とレベルは,スティーヴン・J・グールドやリチャード・ドーキンスの著作を受け入れている日本の読者層にもきっと読まれるだろう.ただし,本書がカバーしている話題の広さと書き手のスタンスからいえば,“もうひとり”のウィルソンの著作,たとえば:エドワード・O・ウィルソン[山下篤子訳]『知の挑戦:科学的知性と文化的知性の統合』(2002年12月20日刊行,角川書店,372+31+viii pp.,本体価格2,200円,ISBN:4047914304書評)がもっとも“近縁”かもしれない.

今年の6月はじめに,国際人間行動進化学会(HBES)の日本での初の大会が京都で開催される(→大会サイト).著者ウィルソンは(“もうひとり”のウィルソンとともに),HBESの有力メンバーのひとりであり,本書の中でもHBES大会でのさまざまな経験が人間進化学に関わる彼の研究を推進した重要な契機となったと記されている.ほかならないわれわれヒトがどのような意味で生物進化の“産物”であるのかを知る愉しみ(苦しみではない)を読者に伝えようとすることが著者の最大のミッションであり,本書はそれに成功していると私は思う.

全体としていえば,本書は現代進化生物学の“本流”に位置する(群淘汰を主張した点で“傍流”と判断する向きもあるだろうが)理論派の研究者が,自然・生物・人間・文化・社会・倫理について幅広い射程のテーマを一般向けにわかりやすく説いた力作である.文体としては確かにソフトなのどごしなのだが,流動食を食わされたような肩すかしの読後感はない.『みんなのための進化学』というタイトルはけっして見かけだけのキャッチフレーズではない.

進化研究の臨場感を著者独特のユーモア感覚と批判の眼で伝える本書は,すでに日本のいくつかの出版社が翻訳すべく手を挙げているという.もし適切な訳者を得ることができれば,日本語で読む価値はきわめて高いと思われる.

三中信宏(27 April 2008)