『捏造された聖書』

バート・D・アーマン[松田和也訳]

(2006年6月10日刊行,柏書房,294 pp.,税込価格2,310円,ISBN:4760129421版元ページ目次



聖書をめぐる本文批判(textual criticism)の長い歴史を論じた興味深い本.Karl Lachamann をはじめ,文献系図学の成立についても詳しく論じている.驚くべき指摘は,中世の修道院スクリプトリウムで写本に特化した写字生(スクライバー)が聖書に関する知識も教養もある“プロフェッショナル”であったのに対し,もっと初期の写本を担当したのは,自分の名前がかろうじて記せる程度の識字力しかない奴隷などだったという点だ.したがって,聖書の古い写本の“変異性”は中世のものよりもはるかに高かったという.まるで“祖先多型”みたいなものか.

いくつか関係する箇所をピックアップ:


つねに念頭に置くべき問いは —— 「この中世の書記たちは,これほどプロフェッショナルな技術で複製するテキストを,いったいどこから入手したのか」ということだから.[……]オリジナルに最も近い形のテキストというのは意外にも,標準化されたプロフェッショナルな仕上がりの中世の複製ではなく,間違いが多くて素人臭い初期の複製の方なのだ.(pp. 99-100)

18世紀のヨハン・アルプレヒト・ベンゲルは聖書の系図ステマ)の方法論を提唱した:


ベンゲルによるもうひとつのブレイクスルーは,私たちの手許にある大量の異文よりもむしろ,それを含んでいる大量の文書自体に関するものだ.彼は,複製された文書というものは当然ながらその元になった底本に最もよく似ているし,同じ底本から作られた他の複製ともよく似ているということに気づいた.つまり,数多い写本の中には,お互い同士で似通っているものとそうでないものとがあるということだ.ということは,すべての現存する写本は,一種の家系図のような関係に並べることができる.(p. 146)

ベンゲルに続く,ラハマンら多くの聖書学者が写本間の系譜関係の推定を試みてきた.19世紀のウェストコットとホートはテクストの“共有派生形質”に基づくステマの推定を原理として確立した:


彼らの考えは,同じ家系に属する写本は,お互いにその語法が一致するという原理だ.つまり,もしもふたつの写本が,ある一節で同じ語法を使用しているなら,その理由は,両者が究極的に同じ源に遡ることができるからに違いない —— 同じ写本か,あるいはその複製かだ.この原理はしばしば,次のように言われる.「異文のアイデンティティは,その源のアイデンティティを意味する」(p. 160)

著者の言う祖本復元に関する原理とは:


「外的証拠:写本自体から推測する」.「オリジナル」と判断される文は,通常,最良の写本および最良の写本グループの中に見いだされるものだ.(p. 168)

「内的証拠:内容から推測する」.異文の中で尤もオリジナルに近いのは,他の異文の存在を最もうまく説明するものである.(p. 170)

写本系図学はなかなか絶妙な“モデル選択”の基準を本文批評では構築してきたようだ.

本書の後半は,後半は聖書の異本群がもたらす“信仰上の危機”を論じる.この点については最新刊:バート・D・アーマン[松田和也訳]『破綻した神キリスト』(2008年5月刊行,柏書房ISBN:9784760133338版元ページ)に詳しく論じられているのかもしれない.