栗原裕一郎
(2008年6月30日刊行, 新曜社, 492 pp., 本体価格3,800円, ISBN:9784788511095 → 目次|版元ページ|著者ブログ)
【書評】※Copyright 2008 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved
「盗作」といえば,もちろんうしろめたい所業ではあるし,盗作した側も剽窃された側も心安らかではいられないことは確かだ.にもかかわらず,本書はとても楽しい本だ.ワクワクするほど.明治以降現代にいたるまで,文士たちはいたるところで盗作しまくりです(というと語弊があるか).
井伏鱒二や立松和平の“盗作”は以前からよく知っていたが,田口ランディも相当なもの.詳細に論じられている山崎豊子にいたっては,長年にわたるその“累犯ぶり”からみて,エキセントリックな確信をもってやっているのだろう.倉橋由美子に,庄司薫,大薮晴彦に,有吉佐和子『複合汚染』まで,盗作の疑惑や嫌疑はとめどなく伝えられてきた.ある部分は“真実”だし,別の部分は“メディア的構築”だったりする.
かつては,“丸写し”の盗作をやらかして文学賞をもらった猛者もいたという.しかし,大半のケースはそれほどあからさまではない.もちろん,何をもって「盗作」と呼ぶかはグレーゾーンが広過ぎて,シッポをつかむことがなかなか難しいようだ.盗作が発覚したときの当事者それぞれの弁解ぶりがまたおもしろい.しかも,盗作の嫌疑をかけた側とかけられた側がときに“脱論理”に陥って泥仕合を演じたりする.さらにマスメディアが裏で煽ったり火消しにまわったりするのだから,真相がいったいどこにあるのかがまったく闇の中のままというケースも少なくないという.盗作疑惑が法廷に持ち込まれた事例は驚くほど少数であり,その判決もこれまたビックリだ.
さらに,当事者だけでなく,巻き込まれてしまった関係者もいい迷惑で,たとえば盗作疑惑でさんざん叩かれた山崎豊子の作品「花宴」については,それが掲載された中央公論社『婦人公論』誌の当時の編集長だった宮脇俊三が引責辞任に追い込まれたと記されている(p. 199).後に鉄道作家として有名になった宮脇がこういう苦労をしていたとはぜんぜん知らなかった.一方の山崎はその後も著作をめぐる盗作疑惑事件をいくつも引き起こすことになる.もちろん,そのような盗作の嫌疑をひとたびかけられたために消えていった作家もたくさんいるとのこと.
著者いわく:「文芸における盗作事件のデータをここまで揃えた書物は過去に例がなく,類書が絶無に近いことだけは自信をもって断言できる」(p. 11).確かに,本書のように明治以降の「盗作事件」をエンサイクロペディックにまとめてくれたのはとてもありがたい.それにしても,この手の本はいったん開くとキリがなくなる.
意外におもしろいのが,第8章「その他の事件」だ.スクラップブックのごとく,古今の“盗作疑惑”を次々にピックアップしている.騒ぎたてればきっと“大事件”になったであろう盗作事例がどういうわけだかまったくニュースにならなかったり,その逆の事例もあったという.
部外者にとっては八幡の薮の中.真実は盗作者のみぞ知る —— と言いたいところだが,何をもって盗作と呼ぶかという境界線がファジーであるかぎり,真実であるかどうかもファジーなまま歴史に流されていく.
三中信宏(28 July 2008)