『ハイスクール1968』

四方田犬彦

(2004年2月25日刊行,新潮社,255 pp.,ISBN:4103671041目次版元ページ新潮文庫])

【書評】※Copyright 2009 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

著者の高校生時代から予備校を経て大学に入るまでの4年間(1968〜1972年)の記録.著者は「1953年」の生まれだから,ぼくから言えば一つ上の世代に当たる.この世代の政治的行動の余波はもちろんぼくらの世代にも少しは伝わっていたが,その影響はごく局所限定的だっただろう.ぼくは“ノンポリ”だったのでその影響はかぎられていた.しかし,すぐ隣りの同級生たちあるいはすぐ上の学年では,たとえば「三里塚闘争」というのは割に身近なことがらだった(もちろん生命にかかわる「内ゲバ」も見知っている).もちろん,同世代で“ノンポリ”ではない知人はたくさんいた.

著者が通った教駒での高校紛争以降,長調から短調に転調するように,物語りの調子はしだいに陰鬱になってくる.独り語りの本なので,もとよりルポルタージュのような客観性を求めてはいない.むしろ自伝的小説として当時の雰囲気がどれくらい生き生きと描かれているかという点にぼくの関心はある.それにしても,著者自身の行動や感性といい,取り巻きの同級生たちの言動といい,自分自身の過去に照らしてみても,「アナザー・ワールド」という印象をもたざるを得ない.ぼくが駒場にいたときも,その手の学生たちは群れていたのかもしれないが,どーぞ好きにやってくださいという感じで,接点はほぼゼロだった.むしろ,駒場寮で生活していた2年間に体感できた「かつての時代」の遺産の方が印象が強かったかもしれない.駒場キャンパス内ではすでに絶滅したであろう精神が,前世紀の駒場寮の中では relict のように最後まで残存し続けたのだろう.

40年も前の「高校紛争」の話を読むのは新鮮だ.なかでもとりわけ映像的な一節があった.高校での政治闘争がクライマックスを迎えていた「1969年」のエピソードとして,著者はこう記している:


「青山高校の英雄的闘争に連帯しよう」というのが,新左翼の高校生たちの合い言葉となった.10月から11月にかけて,わたしの通学している教育大駒場の周囲でも,駒場高校から豊多摩高校まで,次々とバリケード封鎖の旋風が生じた.新宿高では三年生の一人が,封鎖された音楽室でドビュッシーを優雅に演奏していたという,まことしやかな噂が流れてきた.大分後になって,その生徒が坂本龍一という名前であったと,私は知らされた.(p. 148)

時代を共有した世代ならばこういう感性をそのまま受け入れられるのかもしれない.

—— 著者の体験したことと多少とも重なりがある読者ならば,この自伝に書かれてある内容に対して共感と反感を覚えるにちがいない.「四方田ナンバー」が小さいほど読後の共感と反感のズレは大きくなるだろう.その一方で,共感も反感もしない(すなわち「四方田ナンバー」が大きい)ちがう世代の読者がいるかもしれないことを著者はおそらく眼中に置いてはいないのだろうと思う.



追記]著者は,1969年当時の「高校紛争」についてはこれまでほとんど何も記述もないと述べている.たとえば,最近出たきわめて大部な本:小熊英二1968』(上・下,2009年7月7日/8月7日刊行,新曜社ISBN:9784788511637 [上] / ISBN:9784788511644 [下] → 版元ページ)の下巻には高校紛争の章があるらしい.もっとも,この時期の大学紛争・高校紛争の基礎資料については,府川充男さんが運営している〈築地電子活版〉の「図書外装設計」にコンパイルされている資料群を参照するのがより直接的だろうと思われる,(とくに「1965-1969」と「1970-1974」など).

三中信宏(4 August 2009)