『考える/分類する〈日常生活の社会学〉』

ジョルジュ・ペレック阪上脩訳]

(2000年2月1日刊行,法政大学出版局[りぶらりあ選書],東京,vi+143pp.,本体価格1,800円,ISBN:4588022024目次

原著:Georges Perec 1985. Penser/Classer. Hachette, Paris.

【書評】※Copyright 2000, 2009 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved

本書はペレックの遺著であり、書名となったエッセイ《考える/分類する》は最後におさめられている。所収されている13のエッセイはそれぞれ題材が一見ばらばらで、都市論から料理論にいたるまで跳躍する。各エッセイに付けられた奇妙なタイトルは、エリック・サティの音楽を髣髴とさせる。しかし、その底流には、「日常生活における分類」という共通のテーマが横たわっている。【考える/分類する】とはどういう意味か?−それは:

「私は分類する前に考えるのか、考える前に分類するのか。考えることをどうやって分類するか。分類しようとするとき。どう考えるのか」(p.119)

というペレックの言葉によく表わされている。彼の考えでは、panser/classer とは不可分にして単一の動詞なのだろう。「自分流に世界を理解するために分類し、感じ方の習慣と出来てしまった序列をつねにくつがえしつづけた」(p.iii)ペレックは、きわめて実験的な本書の方々で「分類」に関する断片的な個人的コメント(箴言)をばらまく:

  • それは、繰り返すが、私の宇宙をしるす方法であり、私の日常活動に少し斜めから接近することであり、私の仕事、私の歴史、私の関心事を語る方法であり、...(p.13)
  • すべての書斎は二つの要求にこたえており、それはしばしば二つの癖によるものである。一つはもの(本)を保存しようとする癖であり、もう一つはあるやり方でそれを整理する癖である。(p.19)
  • 実際には、すべての書斎はこれらの分類方式の組み合わせによって配置されている。それらの均衡、変えることへの抵抗、古びてくること、それらの残感覚、がどの書斎にも独特の個性を与えている。(p.25)
  • 流行の反対は、流行おくれではない。それは現在でしかあり得ない。そこにあるもの。永久に、耐久性をもち、住みついて、根をおろしているもの。ものとその思い出、存在と歴史。(p.36)
  • 一つの規則によって、全世界を分類するというのは、じつに人をひきつけることであり、一つの全般的法則が現象全体を規定することになる。北半球と南半球、五大陸、男性と女性、動物と植物、単数と複数、右と左、四季、五感、六母音、七日、十二ヶ月、二十六文字。残念ながら、そんな分類は、うまくいかない。かつてうまくいったためしがないし、今後もうまくいかないだろう。そうはいっても、なおこれからも人びとは,これごれの動物が奇数の指の数や中空の角をもっているということで、分類するということを長く続けるだろう。(p.120)
  • 分類のめまいというものがある。(p.125)
  • 分類に関して、問題は、つづかないことである。私が分類し終わったときには、もうその分類は時代おくれになってしまっている。私は、みんなそうなると思うが、ときに整理狂になってしまう。整理すべきものの多さと真に満足できる基準にしたがって配分することが半ば不可能なため、私は決して最後まで整理しつくしたことはなく、まったくの無秩序よりは少しましな仮のあいまいな整理でやめてしまうことになる。(p.126)

これらの散在する「箴言」を私なりにかき集めてみようとするが、なかなか言わんとするところが明らかにならない。けっきょく、彼にとっての「分類」とはいったい何なのだろうか?:

   結局、私は自分を整理するのだ(p.126)

よくわかりましたよ、ペレックさん!

三中信宏(12 February 2000|21 August 2009 加筆)