『月刊みすず』2009年「読書アンケート」

今回選んだ五冊の本に関して,下記の書評原稿をみすず書房に送った:

昨年は進化学者チャールズ・ダーウィンの生誕二百年にあたっていた.国内外を問わずダーウィンと進化生物学に関する数多くの新刊が出版された.今回ピックアップした本の大半は進化がらみの新刊である.



  1. チャールズ・ダーウィン渡辺政隆訳]『種の起源(上・下)』:一八五九年にロンドンで出版された,言うまでもなくダーウィンの代表作.生物の歴史が科学的な探究の対象であることを示すとともに,自然淘汰という進化プロセス理論を提唱した.この本が出版後一世紀半を隔てて読み易い新訳で文庫に入ったことはうれしい.まだキリスト教の影響力が強かった一九世紀のイングランドにおいて,ダーウィンがどのような理論武装と周到なデータ蓄積の上に進化論を世に問うたのか,この新訳を通じて彼の事績をあらためて振り返りたい.

  2. John van Wyhe『The Complete Work of Charles Darwin Online』:ダーウィン自身の著作や論文はもちろん,彼が残したおびただしい数の研究ノートや書簡類は現在このウェブサイトを通じて全世界にオンライン公開されつつある.かつてはケンブリッジ大学をはじめ現地に出向かなければアクセスできなかった未公開資料がこのように閲覧できる時代が到来しようとは.あまりにも情報量が多過ぎて最初はどこから入ればいいのか迷うほどだ.

  3. エルンスト・ヘッケル[小畠郁生監修|戸田裕之訳]『生物の驚異的な形』:『種の起源』によって産声を上げたダーウィニズムは波が伝わるように周辺国に急速に広がっていった.ダーウィン進化論をいち早くドイツに普及させたのは,ダーウィンと同時代に生物学のみならず哲学・政治・芸術にまで影響を及ぼしたエルンスト・ヘッケルだった.ヘッケルは,天賦の画才を駆使して,進化がもたらす生命の多様性を描いたのがこの図版集だ.日本でも戦中まではヘッケルの翻訳があったのだが,最近ではすっかり途絶えている.本書の出版はとてもうれしいサプライズだ.

  4. Robert J. Richards『The Tragic Sense of Life: Ernst Haeckel and the Struggle over Evolutionary Thought』:そのヘッケルの大きな評伝が一昨年に出版された.イングランドの郊外に隠棲したダーウィンとは対極的に,いつも人の輪の中心にいて饒舌に語り続けたヘッケルの人となりを,そして公私にわたって錯綜した人間関係のありさまを詳細に解きほぐしたこの伝記は,進化論が国を越えて受容される際の社会的・文化的・学問的文脈のありようを明らかにしてくれる.

  5. 府川充男(編著)『聚珍録』:漢字の字体と書体やひらかな・カタカナの表記法は,非生物的な意味での変異と進化を遂げる実体であるとみなすことができる.江戸時代から近代にいたる激動の時代に日本語がどのような変遷をしてきたかについて,タイポグラフィーの観点から膨大な資料を集積して考察したのが,全三巻三千ページを越える本書である.個人で購うのは尋常ならざることとは自覚しているが,一期一会の出会いにより入手できたのは実に幸運なことだった.

さて,来月発行される「読書アンケート特集」では,どのような本たちが舞台の上に上がってくるのだろうか?