『本を分類する』

緑川信之

(1996年10月15日刊行,勁草書房,東京,viii+224pp., ISBN:432600018X目次

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本書の最も大きな特徴は、「分類の一般理論を整理するとともに、この一般理論に基づいて代表的な分類法の体系と使い方について説明する」(p.i)という点にあります。図書館情報学の本として、ここまで踏み込んで一般分類理論を論じた本はほとんどないのではないでしょうか。

「分類の一般理論」って? 著者は、1)分類の拠り所とする性質を決めること;2)対象がその性質を持つかどうかの判断基準を決めること;3)その性質に注目して対象を分けること、と記しています(p.12)。2と3はまぁいいとして、1が問題ですが、著者は「どの性質に注目するかは分類の*意図*による」(p.13)としています。「なあんだ、やっぱり主観的・恣意的に分類するのか」なんていう陰の声を見越して、著者は但し書きをつけています:

主観というと「まったく任意な」という印象を浮けるが、まったく任意に分類が行われるわけではなく、その都度、最も適切と考えられる性質に注目して分類を行なっているのである。「意図」ということばは、「目的」ほど明確なものである必要はなく、「主観」ほど任意なものでもない、という意味で両者の総称として使うことにする。(p.13)

分類がある「意図」をもって行われ、しかもその「意図」が必ずしも「主観的」ではないという著者の主張は、自然分類が「人間の歴史的・社会的状況」に依存していること(pp.16-17)とつながります。そして、(私の)予想通り、その先にあるのは「構造主義」であり、実際に著者は池田(1992)の構造主義分類学に同調します(p.3)。

分類主体としての人間の位置付けは明瞭です:「自然はその法則に従って変化しているにすぎず分類を行っているのではない。それを*分類*と認識するのは人間である」(p.15)。これと関連しておもしろいのは、生物分類と図書分類との対比です:

生物分類は自然現象を対象としているが、文献分類は人間がつくり出したものを対象としている。文献分類が生物分類から学ぶべきことは多いし、また、実際に学んできたが、両者の相違点も考慮に入れて文献分類を研究しなければならない。(p.5)

「不特定多数の人のための分類と個人のための分類とは異なる」(p.2)のだから、『誰もが受け入れやすいような認識体系にそった分類をつくる必要がある』(p.4の引用文)という文献分類の一貫した哲学は、生物分類のそれよりももっと徹底しているように私には感じられます。図書分類は「誰にも役立つ」ことに真正面から取り組んでいます。生物分類はそれだけの努力をしてますか?

三中信宏 2002年11月30日/2010年2月1日改訂)