「学術系メーリングリストのライフステージ」

2008年7月12日(土)に,秋葉原THE SPACE OF AKIBA3021 で開催された〈第1回ARGカフェ〉でのライトニングトークハンドアウト内容.当時の日録には転載したが,こちらには載せていなかった.

学術系メーリングリストのライフステージ:〈EVOLVE〉15年の軌跡から

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〈EVOLVE〉メーリングリストとは

1994年9月1日に三中信宏が開設宣言した進化生物学のためのメーリングリスト(→トップページ).進化生物学に関係する議論や情報交換そして公募・広報を念頭に置いている.実名による加入と投稿のみ許可.2008年6月27日時点での登録会員数は「2,060名」.大学や研究機関の職業的研究者,大学院生,学部学生が会員の中核である.



開設動機と運営方針

開設動機はきわめて利己的で,リストオーナーが自分の仕事にとってまず役立つメーリングリストをつくったという点に尽きる.その後の約15年間に及ぶ運営も三中ひとりが担当している.個人運営であることの利点は小回りが効くことである.たとえば,投稿内容や運営上のトラブルが発生したときに,遅滞なく即座にスクランブル発進して標的を迎撃できる.メーリングリスト運営に関わるすべての判断基準はリストオーナーの信念(私の場合は利己主義)であり,この点でリストオーナーは「神」に近い性格をもつといえる.しかし,同時に,メーリングリストというシステム構築を積極的にサポートしてくれた農林水産省研究情報センターのスタッフの尽力があればこそ〈EVOLVE〉は実現した.



学術系メーリングリストのライフステージ

〈EVOLVE〉は,もともとが研究者や学生を主体とするメーリングリストなので,学問上の関心のあり方や共通理解には重なりが大きい.だからといって,開設したまま放置したのではメーリングリストとしての活性は維持できない.経験的に,メーリングリストは開設した直後の“離陸上昇時”にどこまで初期活性を高められるかが,その後の“水平飛行時”に入ったときの定常的投稿の頻度と内容と決めているように思われる.

〈EVOLVE〉の場合は私にとっては初めてのメーリングリスト開設だったので,開設宣言の1ヶ月以上前から,知人や同僚に連絡をとって加入勧誘と投稿依頼にかなり時間をかけた.さいわい〈EVOLVE〉の場合は“離陸”に成功したのでその後も活動が長続きしているが,私が開設に関わった他のケースでは飛び立ってすぐにトラブって“失速”してしまい,そのまま活動停止にいたったこともあった.

〈EVOLVE〉の投稿総数は計13,500件を越えている.世の中にはもっとトラフィックの頻繁なメーリングリストもあるにちがいないかもしれない.しかし,日本での自然科学の学術系メーリングリストを相互比較してみればかなり活発な活性を維持し続けてきたと言えるだろう.

開設初期の頃はリストオーナーと面識のある会員が中心になっと投稿をしてきたので,議論がヒートアップしても,それは学会などのリアルな場のヴァーチャルな再現プレイのような趣きがあった.だから,メーリングリストでの“仮想会話”はそのままリアルな場での“対面会話”の代替のようなものと考えられた.実際,〈EVOLVE〉で活発に論議された内容がそのまま学会やシンポジウムなどでのテーマになったことも少なくない.

しかし,メーリングリストの継時的な変化は無視できない.〈EVOLVE〉開設初期の機関銃乱射のような投稿の応酬の時代は長続きしなかった.過去の投稿数の経緯をたどってみると,前世紀のうちは(1994〜2000年)日に数十通もの投稿があることもめずらしくはなかったが,今世紀に入ってからは漸減しつつあり,現在では月に100投稿に達することも今ではあまりない.

その理由を考えてみるに,ひとつにはリストオーナーを中核とする初期会員の多くが対外的に多忙な役職と年代に達するようになり,メーリングリストでのやりとりに時間を割いている余裕がなくなってきたということが挙げられるだろう.さらには,研究者それぞれが個人のウェブサイトやブログを通じて情報を発信し,そのコメント欄などを利用して局所的にやりとりしている機会が増えてきたという理由も考えられる.

いずれにせよ,最近届く〈EVOLVE〉への入会申請には,「研究室の指導教員や先輩から勧められました」とか,場合によっては「父親から入会してはと言われました」というケースもある.いずれもリストオーナーである私とはまったく面識のない若い方々だ.

進化生物学というつながりの中で,ひとつのメーリングリストを十数年にわたって維持していくうちに,いつの間にか世代の隔たりを越え,未知の人びととつながっていくようになった.〈EVOLVE〉は1本の樹のように成長している.若木の頃のようなめざましい成長量(投稿数)はもう期待できないかもしれないが,15年にわたって蓄積された現存量(過去ログ)は知的財産といえるだろう.



メーリングリスト科学社会学に向けて

〈EVOLVE〉メーリングリストという装置を積極的に利用して,進化生物学の動向を探るという使い方をしたことがある.三中信宏・鈴木邦雄(2002)「生物体系学におけるポパー哲学の比較受容」, 所収:日本ポパー哲学研究会(編),『批判的合理主義・第2巻:応用的諸問題』, pp.71-124(未來社,東京)という論文では,日本における生物系統学(生物どうしの進化的類縁関係を推論する研究分野)の歴史的受容の経緯を〈EVOLVE〉への質問投稿というかたちで実施し,かなりの情報を得ることができた.

また,〈EVOLVE〉よりも長い歴史をもつ〈TaxaCom〉というアメリカの生物分類学メーリングリストについては,もっとまとまったかたちでの科学社会学的研究が出版されている:Christine Hine『Systematics as Cyberscience: Computers, Change, and Continuity in Science』(2008年3月刊行,The MIT Press[Series: Inside Technology],320 pp.,ISBN:9780262083713 [hbk] → 目次版元ページ).

このような先行研究をふまえれば,インターネット上での科学的論議が個々の科学者の研究活動に対して,あるいは研究上の動機づけに対してどのような関わりをもつかとか,さらには特定の科学分野での人的資源や研究資金の流れとの関連性など,興味深い探究の契機となるのではないだろうか.



三中信宏(2008年7月12日:会場にて配布)[2010年3月4日改訂]

このトークをしてからさらに二年が経過し,ツイッターの時代がやってきた.電子メールを介してのコミュニティである「メーリングリスト」の役割はこれまで以上に限定的になるかもしれないが,今なお毎日ML上を流れるトラフィックを見ているとその存在意義はまだ残っているにちがいない.さらに,これまで17年間にわたって蓄積されてきた過去ログのアーカイヴは今でも検索利用されているという.まさに「継続は力なり」ということだ.