『火の賜物:ヒトは料理で進化した』

リチャード・ランガム著[依田卓巳訳]

(2010年3月31日刊行,NTT出版,東京,266 pp.,本体価格2,400円,ISBN:9784757160477版元ページ

【書評】

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稀代の食通としてその名を轟かせたブリア・サヴァランは,『美味礼賛』(1826年)の中で,「美食愛が人間専有のもの」である理由は「われわれの味覚器官が完全である」からだと論じた.確かにわれわれ人間の「食」への追究心はとどまるところを知らない.東南アジアでは「昆虫」が一般的な食材として幅広く用いられている.ラオス国内で配布されている昆虫調理法のポスターが手元にある.セミ・バッタ・イモムシはもとより,タガメコガネムシコオイムシ,はては臭いの強いカメムシにいたるまで,さまざまな昆虫ごとにどのように調理すればおいしく食べられるかがラオス文字で説明されている.炒める・揚げる・焼く・すりつぶす・発酵させるなどなど昆虫を食べるために彼の国の人々がいかに調理の知恵を絞っているかが実感できる.

本書はそのタイトルどおり,人類進化の過程で食材を生のまま食べる段階から火を使って調理するという段階に移行することにより,今から200万年近く前にいた現代人の祖先ホモ・エレクトスが飛躍的な進化を遂げたと主張する.著者は,いまなお幅を利かせる「生食主義」がいかに非効率的な栄養摂取法であるかをさまざまなデータを示しつつ説明する.寒冷地に住むイヌイットが伝統的に生食を主としていたというのは根拠のない憶説で,実は調理食が主体だったそうだ.食材を調理することにより実現した効率的な栄養摂取が,結果として脳活動にまわせるエネルギーを増大させたと言う.

かつてチャールズ・ダーウィンは料理は人間が生み出した偉大な発明であると指摘した.著者はダーウィンの主張をさらに押し進めて,火を用いた調理方法の獲得という文化進化的な新奇性が,ヒトの形態的特徴(格段に大きな脳,口や唇や歯の貧弱さ,顎の筋肉の非力さ,消化器官の小ささ)だけでなく,夫婦や家族の形態さらには社会の構成をもつにいたった進化的理由でもあると言う.自然人類学と文化人類学のみならず古生物学から栄養化学にまで及ぶ幅広い知見を総合した著者の議論展開は説得力がある.

国によっては過食による肥満が社会問題化している現在,食生活が人類進化にどのような影響を与えてきたかを論じた本書は食習慣を再考する上で有用な情報源となるだろう.注釈や参考文献・索引が翻訳に際して省かれていないという点でも資料性は高い.

三中信宏:2009年5月11日)

追記]本書評の短縮版は時事通信社から2010年5月11日配信された.