『歴史家と母たち:カルロ・ギンズブルグ論』

上村忠男

(1994年1月25日刊行,未來社[ポイエーシス叢書:22],東京,250 pp., ISBN:4624932226目次版元ページ

昼休みの徘徊歩き読み本として:

  • 第一章「歴史家と母たち —— 『夜の歴史』を読む」(pp. 17-105).共時的説明と継時的説明の対比.ウィトゲンシュタインの「俯瞰的描示」(die übersichtliche Darstellung)の問題(pp. 36-47)と家族的類似性(family likeness)との関係(pp. 47-63).さらに,レヴィ・ストロースが分岐学に関する言及をしている論文があるらしい(pp. 64-76).その論文は:Claude Levi-Strauss 1983. Histoire et ethnologie. Annales. Économies, Sociétés, Civilisations, 38(6): 1217-1231 → persee | pdfopen access); 杉山光信訳 1985「歴史学と人類学」,思想, 727(1985年1月): 35-55.

  • 第二章「神は細部に宿るか:ミクロストリア考」(pp. 106-155).歴史学におけるミクロ視点とマクロ視点の対比.カルロ・ギンズブルグはロンドンのヴァールブルク研究所で修行した時代があったらしい.最後に.美術史家アンリ・フォションに絡めてジョージ・クブラーがちょっとだけ顔を出す.

  • 第三章「表象と真実 —— ヘイドン・ホワイト批判に寄せて」(pp. 156-230).カルロ・ギンズブルグによるヘイドン・ホワイト批判を素材に,両者の議論のそれぞれを検討する章.かなりおもしろい.実在論懐疑論という両極の内分点としての「歪んだガラス」論(pp. 174-184)がここで登場する.著者の立場は,ヘイドン・ホワイトは必ずしもギンズブルグが糾弾するような懐疑論者とはいえないのではないかというスタンスだ.

以上,感想というか読書メモとして.