〈読んでから引用しろ!〉

「われわれの研究によれば引用者のうち引用元をちゃんと読んだのはたった20%だ」:M. V. Simkin and V. P. Roychowdhury 2003. Read before you cite!. Complex Systems, 14: 269–274 → pdf.もうひとつ:「おまいら,マジで引用されたいのか?」:M. V. Simkin and V. P. Roychowdhury 2006. Do you sincerely want to be cited? Or: read before you cite. Significance, 3(4): 179–181 → abstract ※「theory of the unread citation」っておもしろそうだなぁ(コワいけど……).

進化学や体系学の場合,入手できるはずのない文献が「引用」されている頻度は他の研究分野よりも高いかも.たとえば,ダーウィン種の起源』の「初版」を引用している進化学文献は無数にある.初版は増刷を含めてもたかだか数千冊あまりしか出版されていないので,引用者が全員その一冊をもっているはずがない.おそらく文献学的な「許容基準」は分野ごとにちがっているのだろう.「読んでから引用しろ!」というときの「読む」という行為の「深さ」が学問分野によって異なっているのかも.進化学・体系学では数世紀前までは「現役文献」だけど,バイオ分野だと数年経てばもう「現役引退」だし.

自然科学の場合,古い文献を引用した後の文献からさらに「孫引き」してくることが少なくないので,過去の引用者の「誤読」がそのままいつまでも継承されてしまうリスクが高くなる.みごとな「誤読系統樹」ができあがる.とりわけ,それぞれの分野での古典である「神文献」はいつも “神棚” に祭り上げられていて,ひもとかれることがほとんどないため(触れることすらおそれ多い?),一般人研究者は誰かが造った「摩尼車」をくるくるまわしては「読んだつもり」になる悪弊が広がることになる.

たとえば,生物体系学では,分岐学派の「神文献」のひとつ Willi Hennig『Grundzüge einer Theorie der phylogenetischen Systematik』(1950年刊行,Deutscher Zentralverlag, Berlin, vi+370pp. → 書誌情報)がその好例だ.本書は第二次世界大戦直後にドイツで刊行されたこともあり,文字通りの稀覯本.その後の分岐学派の出発点は英訳された Willi Hennig『Phylogenetic Systematics』(D. Dwight Davis and Reiner Zangerl 訳,1966年刊行,University of Illinois Press, Urbana, vi+263 pp. [hbk] → 書誌情報)であることは確かだが,かなり多くの教科書で Hennig (1966) は Hennig (1950) からの翻訳であるというまちがった記述が載っている.実際には Hennig (1966) の翻訳原稿は死後に出版された Willi Hennig 『Phylogenetische Systematik』(1982年刊行,Verlag Paul Parey, Berlin, 246pp.)だった.稀覯本かつドイツ語ということで,見ないままスルーされてきたのだと推測される.

近年は,幸いなことに,物理的にアクセスできなくても,電子化されてネットからダウンロードできる「神文献」が増えてきた.でも,出典があやふやな得体のしれない電子文献はコワい.同時に,ある文献を「ダウンロードした」という行為はそれを「読んだ」という行為とけっして同義ではない.かつては,文献のコピーをとったら,それでもう安心してしまって,肝心の中身をロクに読まなかったという背徳の過去があった.製本なんかしたらもうオシマイ.そのまま“神棚” に直行だ.年の始めに,各自が昨年のダウンロード・フォルダーをチェックして「完読率」を計算してみるとかなり青ざめるのではないだろうか.