『日本博物誌総合年表』

磯野直秀

(2012年4月25日刊行,平凡社,東京,本体価格30,000円,ISBN:9784582512304目次版元ページ

総合年表編の「あとがき」として,著者は既刊記事:磯野直秀「江戸博物誌を顧みる」参考書誌研究, (61) : 1-7, 2004 CiNii を再録している.そのなかで興味深いのは,西洋と東洋の博物学のちがいを指摘した下記の箇所だ:

「江戸博物誌の世界をうろつくうちに,東西の違いはもっと本質的なものではないかと思いはじめた.一言で言うと,西の世界がギリシャの昔からモノの「仕組み」と「体系」を追い続けたのに対し,東は「仕組み」や「体系」にまったく関心を示さなかった世界だと気付いたのである」(p. 745)



「結局,東と西はおなじ線路の上を走っていたのではなく,別々の線路を異なる方向に向かって走っていたようだ.そして,東のそれは,いくら時をかけても「科学」という駅には到着しない路線であった」(p. 747)



「では,東の路線は無価値で,百年前の人々がしたように捨て去るしかないものだったのだろうか.私はそうは思わない.江戸博物誌には,もうひとつの特徴が存在したからである.それは,いつも「人の目」を通して動植物を見ているという点だ」(p. 747)



「「広く,浅く,近付きやすい」,これが江戸博物誌の特色だった.この点を私は高く評価したい.冒頭に記したように,幅広い人々が江戸博物誌を担えたのも,この「近付きやすさ」故のことであった」(p. 748)

東洋の博物学のもつ文化的特質については,磯野直秀も西村三郎とほぼ同一の結論に達したように見える.ただし,東洋の博物学が体系を希求していないようにみえて,背後で一種の “超越論的世界観” を温存しづけてきた点はもっと指摘されてもいいだろう.実際,付記の最後に挙げられている19世紀前半に松森胤保が著した『両羽博物図譜』には,「クモの巣のような網目状」の「独自の分類論」が展開されていたと著者は指摘している(p. 742).まるで,早田文蔵の “動的分類学” の先駆けではないだろうか.

—— 東洋博物学における個物へのオブセッションは体系への信念と両立するような気がしている.ただし,その体系は西洋博物学のそれとは異なるタイプだったのだろう.