『結核という文化:病の比較文化史』

福田眞人

(2001年11月25日刊行,中央公論新社中公新書1615],東京,vi+269 pp., ISBN:4121016157

【書評】※Copyright 2001, 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



結核」文化の世界――病気のロマン化は医療のニヒリズムに連動する



新書にもかかわらず,内容が濃い本である.いたるところに興味深いエピソードやぴりっとした情報が埋まっている.「結核」という病原菌がこれほどまでに人間の国家や社会そして文化や精神にまで深く関わってきたのかと気づかされる.



毎日出版文化賞を受賞した前著『結核の文化史:近代日本における病のイメージ』(名古屋大学出版会,1995年)が近代日本に限定して「結核」文化を論じたものであるとすれば,本書はそれを世界のレベルにまで拡張した本といえる.さまざまな病原菌は,進化的にみれば,宿主であるヒトの共生生物である(『病気はなぜ,あるのか:進化医学による新しい理解』,新曜社,2001年).結核菌もまたヒトの病原菌の一つだが,その影響力はいまなお突出している.本書第10章を読めば,結核が「過去の病気」であるどころか,いまなお「最強の病気」の地位にあることを認識させられる.



本書の前半では(第5章まで),結核という病気に対して人間がどのように立ち向かっていったのかをふりかえる.結核菌が同定され,ストレプトマイシンという抗生物質が治療に用いられるようになるまでは,ありとあらゆる方策――なかば医療的な,なかば民間療法的な――が試された.著者は言う:「またそこに一種の医学的ニヒリズムを見出しうるのである.なぜなら本当に効果的療法がないとき人々は患者の医師もともにすでにある療法にしがみつき,しばしばそれを詳細に分類してあたかも科学的であるかのように装い,あるいはそこに満足をおそらく自己満足を見出したのである」(pp.143-144)



〈年ごとに肺病やみの殖えていく〉(石川啄木, p.230)にもかかわらず,どうしても決定的治療法が見つからない――この医療ニヒリズム結核の「ロマン化」に拍車をかけた.本書の後半では,結核の世界的大流行を支えた社会・産業的な背景をふりかえりながら,さまざまな文化領域での「結核の美学」のありさまを描き出す.たとえば,結核の効果的療法としてのサナトリウムは日本でも数々の「結核文学」を生みだす場となった.『風たちぬ』を書いた堀辰雄は,日本のサナトリウム文学の代表作家だが,彼のエピソードは本書にも触れられている.「僕から結核菌を追つ払つたら,あとに何が残るんだい?」(p.212)という堀のことぱには,結核菌が人間としての存在意義を左右するまでにいたったことを暗示している.



本書には,まだ芽吹いていない「種子」がいくつもばらまかれている.著者自身,それらの「種子」を今後取り組むべき研究テーマとして育てていくのだろう.さらなる著作を期待したい.

【目次】
はじめに 3
1. 病の運命――三つのエピソードから 6
2. 西洋の結核の歴史――古代から中世へ 23
3. 中国と日本の結核の記録 69
4. 近代の結核療法の登場 88
5. 細菌学の時代 123
6. 近代化と産業革命・殖産興業 149
7. 肺病のロマン化 161
8. サナトリウムという新しい舞台 186
9. 結核患者の群像 214
10. 結核は過去の病気ではない 241
あとがき 263
結核に関する年表 266
主要参考文献 268