『岩波茂雄と出版文化:近代日本の教養主義』

村上一郎竹内洋解説]

(2013年12月10日刊行,講談社講談社学術文庫・2208],東京,166 pp., ISBN:9784062922081版元ページ

【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



とてもおもしろい.元本は1979年に砂子屋書房から『岩波茂雄:成らざりしカルテと若干の付箋』として出版された.今回の文庫化に際しては竹内洋による序論「学術文庫版イントロ 村上一郎と『岩波茂雄』」(pp. 3-23)と長めの評論「解説 岩波茂雄・岩波文化・教養主義」(pp. 125-164)が付されている.



半世紀前に書かれた村上一郎の本論「岩波茂雄:成らざりしカルテと若干の付箋」(pp. 31-124)は,岩波書店創業者・岩波茂雄の出自からたどる内容で,いわゆる「教養主義」としての “岩波文化” そのものについての体系的記述はあえて避けている.これに対して,竹内洋の序論と解説が詳細な背景説明の役割を担い,村上の遺した「断片メモ集積」の空白部分を埋めている.



村上は「岩波文化 vs. 講談社文化」の表面的な対立の底流を流れる日本的な “野合” に光を当てている:


「一般に民衆は「講談社文化」を好み「岩波文化」に寄りつかぬようにいわれる.が,そうではない.疎外された民衆は,むしろ亜インテリの型につらなる.彼らは「教育され」たり「きたえられ」たりすることをむしろ好むから,「講談社文化」的な媒体をへて,それなりの「岩波文化」的エリート意識の無意識的萌芽であるコンプレックスをもつのである.」(p. 62)



竹内洋は巻末解説の中で, “岩波文化” のその後の系譜をたどり,かつては対置させられていた “講談社文化” との相互乗り入れが始まったと指摘する.この文庫本も岩波書店ではなく講談社から出たわけだが,創業百年を迎える岩波書店側からは,分厚い三部作〈物語・岩波書店百年史〉が出たばかりなので,グッドタイミングな文庫本である.



竹内洋解説で言及されていた “出身階層” による「割増金」のちがいの話が生々しい.フランスの学生の出身社会階層を調べたロバート・スミスは「文化系の学問は,家族の中で秘めやかに慎重に培われる嗜好や言語が割増金になるのに対し,自然科学のほうは,そうした割増金が少なく,貧困層の学生にも習得しやすい学問である」(p. 132)と書いている.竹内洋の議論は,日本ではフランスとは「真逆様」(p. 133)であって,帝大理学部に比べて帝大文学部は「あまり豊かでない階層出身者が多く,地方出身者が多い農村的な学部」だったと続く.そのことが彼の言う日本的教養主義を支えてきたとのこと.



日本の「教養主義」をめぐっては,下記の二冊を以前読んで書評した:竹内洋教養主義の没落:変わりゆくエリート学生文化』(2003年7月25日刊行,中央公論新社中公新書1704],東京,ISBN:4121017048書評・目次版元ページ)/高田里惠子グロテスクな教養』(2005年6月10日刊行,筑摩書房ちくま新書539],東京,ISBN:4480062394書評・目次版元ページ



そういえば,竹内洋が NTT 出版のウェブマガジンに連載していた〈大学・インテリ・教養〉 はまだ単行本化されないのだろうか.ウェブでの連載記事へのリンクはすでに切れているので,近いうちに本になることはまちがいないはずなのだが.この連載には「教養難民の系譜」という副題が付いていて,毎回とてもおもしろかった.



三中信宏(2013年12月15日|2013年12月16日加筆)

【目次】
学術文庫版イントロ 村上一郎と『岩波茂雄』[竹内洋] 3
岩波茂雄 成らざりしカルテと若干の付箋[村上一郎] 31
 原本編集者註 32
 (一)予断 33
 (二)信州人 41
 (三)岩波は何を避けたか? 55
 (四)岩波の“戦争と平和” 69
 (五)岩波と部下たち 87
 (六)岩波の光栄と悲惨 98
 (七)おわりに――「岩波文化」の今後 111
 参考文献の主たるもの 114
 岩波茂雄 年譜 115
解説 岩波茂雄・岩波文化・教養主義竹内洋] 125