『メアリー・アニングの冒険:恐竜学をひらいた女化石屋』

吉川惣司・矢島道子

(2003年11月25日刊行,朝日新聞社[朝日選書・739],東京,339+V+4 pp., ISBN:4022598395書評・目次版元ページ

今日2014年5月21日はメアリー・アニングの215回目の誕生日ということで,Google 画像も彼女シフトのおめでとう画像になっていた.本評伝を読んだのはもう10年も前のことだ.

【書評】※Copyright 2003, 2014 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved



歴史の「襞」に隠れてしまったはるか昔の人物を掘り起こす作業は,まさに「化石発掘」にも等しい忍耐力と精神力と偶然を要求するのだろうか.本書は,今となっては断片的にしか残されていない歴史資料をうまくつなぎ合わせて,19世紀初頭のイギリス古生物学界に大きく貢献しながらも忘れられてしまった“化石婦人”メアリー・アニングの生涯をたどった本だ.



『メアリー・アニングの冒険』の舞台は,ダーウィン進化論の大波が来る前のイギリス南端の海岸 Lyme Regisである.著者たちはメアリーの一生が埋めこまれたこの地にまで足を運び,細かい未公刊資料や書簡,新聞記事,散在するメモの類まで渉猟して調べあげたそうだ.幸運な偶然があったことも文中に綴られているが,著者たちのアンテナの感度が高かったからこそだと思う.本書を読んで,メアリーだけなく,19世紀前半のイギリス科学界で活躍しながら公的には認められることがなかった「女性科学者群像」――夫がいずれも著名な地質学者だったシャーロット・マーチソン,メアリー・バックランドをはじめ社会的階層を越えた有識女性たち――がリアルに描き出されているように感じた.女性どうしの個人的なネットワークが次々に広がっていくようすが見えてくる.男性紳士科学者たちとは別のところで女性たちによる科学コミュニティがあったということか.本書全体の中でも,とりわけ著者たちのまなざしが強く感じられるところだ.



それにしても,主役たるメアリー・アニングの活躍ぶりは只者ではない.危険この上ない発掘場所(「ブラック・ヴェン」)で,崖崩れと満潮の危険にさらされながら,イクチオサウルスプレシオサウルスをはじめ数々の大物化石を次々と掘り出せたのは,商業的化石屋としての熟練した〈化石狩り〉の職人技があってはじめて可能だったのだろう(著者らは「化石発掘は農業よりは狩猟に近い」[p.123]と言う).長らく忘れられていた人物の「甦り」を目指す初の伝記ともなれば,現存する情報をつなぎ合わせる〈糊=推測〉がどうしても必要になる.確かに,わからないことはわからないのだが,全体を通して説得的な「叙述」(あえて「物語」とは呼ばない)に仕上がっていると思う.



脇役となる登場人物の役回りについて――学生たちに大受けした‘大道芸人’ウィリアム・バックランドも,その晩年は不幸だったと聞いている.‘俗物’ロデリック・マーチソン,奥方の「内助の功」ありまくりですな(というか事実上のマリオネットかも).メアリーと関わり浅からぬヘンリー・デ・ラ・ビーチ,とってもいいヤツじゃないか.1830〜40年代のデボン紀論争を叙述したMartin Rudwickの大著『The Great Devonian Controversy』(1985)での主役を張るこのふたりが,若い頃にメアリー・アニングとの交差があったとは.1830〜40年代に演じられた「デボン紀論争」の配役が男性紳士地質学者のみであったのに対し,『メアリー・アニングの冒険』では当時としては周縁的な女性たちが主役級の演技をしている.その対比もまたこの本を読む愉しみを増してくれるだろう.そして,Rudwickの本が最後(Chapter 15)に提示した論争全体の【シェマ】に相当する個別的知識の形成過程に関する復元像がメアリー・アニングの場合にも可能ではないかと考えてみたくなる.



メアリー・アニングを美化することなく,等身大の女性として当時のイギリスの社会と文化の中に占めた位置を明らかにしようとした本書は,メアリーをめぐる通説を否定する新たな情報も盛り込まれており,読後充実感のある伝記だと思う.欲を言えば「注」は巻末ではなく該当ページに割り振った方が読みやすかっただろう.メアリー・アニングの風刺詩は痛烈だ.



三中信宏(2003年11月17日|2014年5月21日改訂)

【目次】


序章 奇妙な肖像画 3



第1章 ライムの少女 1799−1812年 13

 メアリー・アニングの誕生
 ドーセットの真珠ライム・リージス
 稲妻からの生還
 化石がとれる海水浴場
 ジェーン・オースティンの滞在
 地質学者ド・リュックの訪問
 大博物学時代――時代の知的ファッション
 地質学の誕生
 存在の大いなる連鎖
 リチャードの死
 フィルポット三姉妹
 思春期の友人,ヘンリー・トーマス・デ・ラ・ビーチ
 メアリー最初の発見
 クロコダイルの謎
 エヴェラード・ホーム卿の混乱
 奪われた称号「世界初のイクチオサウルス発見者」
 メアリー・アニングの神話


第2章 メアリーの大発掘時代 1820年代 91

 メアリーの変貌
 博愛的収集家,バーチ中佐
 ブロック博物館の化石競売会
 オクスフォードの名物教授,ウィリアム・バックランド
 ケンブリッジのアダム・セジウィック
 アニング化石店の主
 化石の発掘と販売――多大な経費
 メアリーの長期観察
 ブリストル研究所とコニベア
 首長竜プレシオサウルスの発見
 化石のメッカ・巡礼者たちの群れ
 メアリーの容貌
 小説と映画になったメアリー・アニング
 シャーロット・マーチソンとその夫
 メアリー・バックランド
 新しい化石店,そして女性ネットワーク
 学問の貴族・地質学者
 翼竜プテロダクディルスの発見
 コプロライト,そしてベレムナイトにみられるインクバッグ
 ロンドン訪問
 メアリーのロンドン滞在日記


第3章 フォッシル・ウーマン 1830年代 209

 シンデレラの帰還
 デ・ラ・ビーチの生態復元図「ドゥリア・アンティクィオル」
 ノアの洪水か,膨大な時間か――進化論へいたる論争
 幼い少年との交流
 化石魚スクアロラヤの正体
 アガシの鑑定とスクアロラヤ標本の焼失
 令嬢アンナ・マリア・ピニー
 熱狂者トーマス・ホーキンズ
 ピニー再訪
 ギデオン・マンテルとの出会い
 化石産地ライムの落日
 リチャード・オーウェン来訪


第4章 博物学者の黄昏 1840−47年 277

 パートナーの死
 メアリー・アニングの標本はどうなっているのか?
 がらくた文書に見るメアリーの「記載」
 メアリー自身による発見化石リスト
 メアリーへの新しい評価
 最後の日々
 ライムに還る


終章 封印された絶筆 313



あとがき 321


メアリー・アニング略年譜 326
注 328
引用文献 [I-V]
索引 [1-4]