『読書礼讃』

アルベルト・マングェル[野中邦子訳]

(2014年6月10日刊行,白水社,東京,430+14 pp., 本体価格3,800円, ISBN:9784560083574目次版元ページ

半年前に買った本だが,ベッドサイド・ブックと化し,読了するのに実に半年もかかってしまった.年越しなかったのは幸い.

マングェルの前著:アルベルト・マングェル著[野中邦子訳]『図書館:愛書家の楽園』(2008年10月10日刊行,白水社,302+38 pp.,本体価格3,400円,ISBN:9784560026373版元ページ)やさらにその前の:アルベルト・マングェル[原田範行訳]『読書の歴史:あるいは読者の歴史』(1999年9月30日刊行,柏書房[叢書Laurus],東京,354+38 pp., ISBN:4760118063書評・目次)の読者だったら,その2冊の延長線上に本書があることがわかるだろう.

しかし,この『読書礼讃』はこれまでの2冊と比べて “個人史” 的な内容が散りばめられていて,なかば本を通した自叙伝のように読むこともできるだろう.450ページもある大冊で,寝読みするにはいささか腕力が必要だった.本の背後に広がる歴史的・文化的・政治的コンテクストを重視する姿勢は前著と変わりない.ときおり垣間見える厳しい視線や批評も含めて.

こんな一節がある:「四十歳は変化のときである.それまでに溜めこんだもの一切合財をあとに残し,身になじんだ慣習を捨て去り,暗闇のなかで荷物をまとめ,闇のなかに潜んだ力と向きあうべきときなのだ」(「亡霊に場所を与えよ」, p. 36)

また,真夏日シエスタにページをめくっていた昼下り.「「私」という声」(pp. 193-205)という章に,ダンテ〈神曲〉地獄篇に関する言及あり.「それならば是非ともこの暗黒界を無事に脱して,美しい星々を仰げるところへ帰ってくれ」(p. 196)という一節が,地獄篇のエンディングに呼応していることを知った.藤谷道夫訳〈神曲〉を見ると,こう訳されている:

[81] 自身の心に従って臆することなく話す君は幸いなるかな。

[82] それなればこそ、君が、この常夜の地を無事に脱して地上に戻り、

[83] ふたたび美しい星々を仰ぎ見んことを。いつの日か

[84] 『私は(地獄に)行った』と言うのが君の喜びとなるそのとき、

[85] どうか地上の人々にわれらのことを語ってもらいたい。

藤谷道夫訳:ダンテ『神曲』地獄篇対訳(上),第16歌81-85行)

この「美しい星々を仰ぎ見ん(riveder le belle stelle)」の一節が,「地獄篇」のエンディング:

[139] 私たちはそこから外に出て、再び星々を仰ぎ見た。

   [E quindi uscimmo a riveder le stelle.]

藤谷道夫訳:ダンテ『神曲』地獄篇対訳(下),第34歌139行)

に対応しているということだ.Cladistics 誌に「E quindi uscimmo a riveder le stelle」というタイトルのレターが巻頭に載ったことがあった.その意味はこういうことだったのかと納得したしだい.

読了するのに半年かかるというのはワタクシにしてはめったにないことだが,速読するようなタイプの本ではないので,結果的にはこれでよかったのだろう.