『「育休世代」のジレンマ:女性活用はなぜ失敗するのか?』

中野円佳

(2014年9月20日刊行,光文社[光文社新書・713], 東京, 349 pp., ISBN:9784334038168目次版元ページ

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少数例のまとめ方



本書は,就職した女性が利用可能な職場環境と育児資源をどのように利用しながらライフコースを刻んでいくのかを具体例を挙げながら論じている点で,ワタクシにとってはたいへん興味深かった.第1章「「制度」が整っても女性の活躍が難しいのはなぜか?」では,著者が本書を通じて解明しようとしている問題をはっきり示す:


男性と同等に仕事をバリバリしようとやる気に燃えていた女性が,ずっと働き続けるつもりで就職したのに,結婚や出産をして結局会社を辞めていくのはなぜなのか.(p. 39)



著者がとくに注目するのは,女性のライフコースのなかで,いったん就職してから結婚・出産するまでの期間にどのような社会的条件と当人の意識が絡み合っているのかという,これまでほとんど調べられてこなかった問題である(p. 38, 図1).



続く第2章「「育休世代」のジレンマ」では,実際にインタヴューした被験者たち(計15名:p. 65, 表1)を説明する.本書の主張の論拠となる情報提供者の彼女たちはいずれも「育休世代」に属している.本書ではこの「育休世代」を次のように定義している:


1999年の改正均等法の施行,2001年の育児・休業介護法の改正などを経て,制度的にも人数的にも女性の就労継続可能性が拡大してから入社した世代を,本書で「育休世代」と呼ぶことにする.(p 51)



仕事をもつ「育休世代」の女性にはふたつのプレッシャーがのしかかっていると著者は指摘する:


「育休世代」が育ったのは,女性に対して,ただ単に仕事と育児の両方をこなすだけではなく,2つのより高いプレッシャーがかかっていった時代に重なる.1つ目は,「男並み」に仕事で自己実現をすることをたきつけられる「自己実現プレッシャー」,2つ目は,できれば早めに母になり,母として役割を果たすことを求められる「産め働け育てろプレッシャー」である.(p. 51)



第3章「不都合な「職場」」では,職業をもつ女性(あるいはワーキングマザー)が働く職場が抱えるいくつもの深刻な問題点を論じる.著者はインタヴュー内容を分析することで,現実の職場の中で働く女性が直面する状況とその背後の要因に切り込んでいく.



ワーキングマザーにとっての最大の障壁のひとつは,一方でワークライフバランス論議が女性の両立支援が推進されたとしても,他方で長時間労働を前提とする職場の風土や文化がほとんど手つかずのまま温存されていることにある.この障壁がもたらす問題のひとつが「マミートラック」である:


[出産]復帰後の女性の処遇については,いわゆる「マミートラック」に追いやられる問題が指摘されている.マミートラックとは,出産後の女性社員の配属される職域が限定されたり,昇進・昇格にはあまり縁のないキャリアコースに固定されたりすることである.(p. 86)



著者は,この「マミートラック」問題がワーキングマザーの心に及ぼす悪影響とくに仕事に対する「やりがい」の減退につながっているのではないかと指摘する:


経営学者の高橋伸夫(2004)は,従来,日本企業は社員に対し,金銭的な報酬よりも,「次の仕事」によって働きに報いてきたとする.仕事への高評価が,やりがいのある「次の仕事」につながり,結果として昇進や昇給をしていくというのだ.ところが,ここで「評価」されるのは,客観的に計れる成果や生産性というより,長時間労働に象徴される「企業へのコミットメント」であることが多い.となると,時間制約がある社員が評価されないことによって失うものは,昇進や昇給だけではなく,仕事内容そのもののやりがいとなる可能性が高い.(p. 90)



著者が力説するのは,ワーキングマザーに対する「過剰な配慮」からマミートラックに追いやることでも,あるいはその裏返しの「配慮の欠如」によってやりがいを削り取るのでもなく,むしろ「仕事内容を変えない」ことでワーキングマザーのやりがいを高く維持するような「適切な配慮」だと言う(pp. 94 ff.).もうひとつ重要な点は本人のアピールだ:


育児中の女性社員は,本人が力説し猛アピールしない限り,通常の「育成ルート」からこぼれおちていくように見える.…… 働く母親が,自らアピールして自己責任で仕事を引き受けていく葛藤は非常に大きい.(p. 100)



次の第4章「期待されない「夫」」は育休世代のワーキングマザーの家庭生活に踏み込む.著者が着目するのは,夫の果たす役割である.個々の家庭生活を顧みない職場の文化や風土は,女性よりも男性に対してより強いプレッシャーを与えている:


長時間労働が常態化している職場では,同じ「残業をせずに帰る」という行動を,女性がするよりも男性がする方が周囲の見方はより厳しくなりがちである.(p. 145)



その結果,夫の家庭や育児へのコミットメントは期待されず,要因のからみ合いは複雑になる(p. 154, 図3).さらに,国内外の転勤に伴う夫婦の “二体問題” が生じれば,さらに負担が増えると著者は指摘する.家庭生活と職場風土とのはざまで,ワーキングマザーたちが職場を去るまたは去らない決断をどのように下しているのかを本章は詳細に考察している.



次の第5章「母を縛る「育児意識」」は,育児資源としての「親」との関わりを論じる.夫婦だけでは育児しきれないとき,可能な状況では,実父母あるいは義父母がヘルパーとして動員できるかもしれない.しかし,ここでもまた「そこまでして続ける仕事か」というやりがいの問題と,世代間の育児に関する認識のズレが表面化する.



続く第6章「複合的要因を抱えさせる「マッチョ志向」」では,夫からの家事・育児協力もなく,職場もまたワーキングマザーに対して “逆境的” であるにもかかわらず仕事を続けようとする「マッチョ志向」がどのように成立してきたかを当事者の過去のジェンダー経験を踏まえて説明しようとする.



そして,第7章「誰が辞め、誰が残るのか?」では,これまでの議論をまとめた上で,仕事を辞める/辞めないの決断にいたる要因の関連性を論じる.その意思決定に関わる複数の要因は錯綜している(p. 235, 図15).著者は言う:


現状が「両立できる環境」ではあっても,今後やりがいをどこまで求めるか,子育てをどこまで外注するか,第2子をどうするかということに対して,覚悟が本人に求められ,その決断をしないことによる帰結が自己責任とされてしまえば,「キャリアの方向性」は見いだしにくい.変数の多い方程式を前に,復帰後女性は一人,立ち尽くしてしまう.(p. 254)



最後の第8章「なぜ「女性活用」は失敗するのか?」では,女性活用が失敗してきた経緯を分析する.著者は大学までの “ジェンダーフリー” な無菌空間が,会社に入っていきなり八方塞がりの「ジェンダー秩序」に一変するギャップの問題を指摘する.つまり,「男女平等」の教育を受けてきた女性が,いったん企業に就職して結婚・出産するや:


実際にケア責任が発生した場合に,その責任を負うことへの期待とそれによって抱える困難が,極端に女性に偏っている社会の実態(p. 286)



が,ワーキングマザーを直撃しているとみなす.それは現代社会での「ジェンダー秩序」の問題であると著者は言う:


本調査で明らかになったのは,就職前にジェンダーの社会化を免れたように見えた女性が,「逆転したジェンダーの社会化」[※「女性性」の否定により「名誉男性(例外女性)」を目指す(p. 281)]によって,男女差別のある社会で適応戦略を取りそこね,その結果,結局出産後にジェンダー秩序に従うような行動(退職)を迫られる様子である.(p. 293)



著者は,このような「マッチョ志向」の「名誉男性」的女性と昇進意欲が「冷却」(p. 297)されてほどほどに働く女性との「二分化」(p. 294)はジェンダー秩序を強化するだけで弊害しかないと指摘する.その上で,まずは女性の間での対立構造を解消できないかと提案する.しかし,それは女性だけにとどまる問題ではない.著者は社会的規範意識と企業労働体質が変わらないかぎり根本的には解決できないと言う.男性に対しては「育休よりも,定時に帰る経験を」(p. 323)と呼びかける.



ワーキングマザーたちへの詳細なインタヴューを通じて得られた情報に基づく説明仮説の提示はきわめて興味深いし,共感をもって読み進む読者は多いにちがいない.とくに,働く女性に対して作用する既存ジェンダー秩序のさまざまな抑圧のかかり方(p. 299, 図6)を見ると,必ずしも表に現れてこない(=言葉にならない)不満や後悔や怨念がまだまだ潜んでいるだろうと思う.



データ分析法について最後に一言.本書では質的研究法に準拠し,その調査法の詳細は「調査の概要」(pp. 72-78)に述べられている.「n=15」というきわめて少数のサンプル(しかも無作為サンプルではない)に基づく論議は通常の統計的手法の埒外である.本書では少数サンプルに関する「複線経路・等至性モデル(TEM: Trajectory Equifinal Model)」に基づく分析が重視されている(p. 76).「TEM」はワタクシの理解を越える手法なのでその長所短所は判断できない.しかし,分析法に関する著者の所見:


本調査はもともと質的研究が適していると考えており,量的調査による「証明」を目指していない.…… ただ,統計的に有意かどうかという数字に落とし込んでしまったとたんに,見えなくなってしまうものもある.(p. 234)



についてはいささかことばが足りないのではないかとワタクシは感じる.たとえば,本書のいたるところに登場するクロス集計表とそれに基づく類型化はどれくらい信頼していいのだろう.さらに言えば,本書が目指しているワーキングマザーの意思決定に関する要因分析には,適切な統計モデリングが必要になるのではないか.とりわけ,要因の相互関連を論じるには統計的因果推論もきっと必要になるだろう.提示された仮説をデータに基づいてどのようにして裏付けるのかを考えたとき,本書で使用された質的研究法だけでは力不足ではないだろうか.ワタクシは量的研究と質的研究とは対立させるべきものではないと考える.サンプル・サイズの小ささとサンプリング・バイアスの問題が克服されれば,本書の主張はより説得力を増しただろう.



三中信宏(2015年3月8日)

[付記]本書の著者は政府委員会でも発言している:内閣府ホーム > 審議会・懇談会等 > 規制改革 > 会議情報 > 第40回規制改革会議(平成27年1月22日) 議事次第.このなかにある:「資料2 ― 中野円佳氏(新聞記者)提出資料(PDF形式:77KB)」.