「(レッツeco活)ブックカバー、無駄やめて 「必要か」聞く書店・自作で愛着」

朝日新聞デジタル(2015年6月15日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11808993.html

「汚れを防いだり、読んでいる本を見られないようにしたりするため、定着しているブックカバー」は日本だけらしい.調べてみると,こんな記事もある:ハグルマ封筒株式会社:コラム「紙と生活」―「その歴史90年、ブックカバーという日本文化」.この記事によると,「書店がブックカバーを提供する理由」は「会計が済んでいることが一目で分かる」と「広告宣伝」であり,他方,「自分の本にブックカバーをかける人の目的」は「一つは本が汚れるのを防ぐため」,「もう一つは本の表紙を他人の目から隠すため」と書かれている.

読んでいる本を他人に見られることを “恥” と感じる日本人.外国では書店でブックカバーを付けるという習慣そのものが存在しないようだ.「本の表紙を見られたくない気持ち自体が、日本に特有のもの」らしい.日本には〈書皮友好協会〉なる愛護団体まであるとは知らなかった.

用語が混乱しないように自分用メモ:「カバージャケット(ダストジャケット)」=もともと本に付いているカバー/「ブックカバー」=書店で巻いてくれるカバーあるいは自作の本カバー,自作カバーではない書店カバーを「書皮」と呼ぶ(書皮友好協会定義).

ワタクシもかつてはわざわざ紙の「ブックカバー」で本をくるむ習慣が確かにあった.しかし,いまはハードカバー本でもソフトカバー本でもカバージャケット&オビを剥いで, “抜き身” で持ち歩き,読了したらまたくるんでから書棚に保管することにしている.もちろん,自著を持ち歩くときはカバージャケットもオビもフル装備でこれみよがしに見せびらかすのは単に販促イノチのあらわれですが.

文庫や新書などのソフトカバー本を持ち歩いているうちに端が折れ曲がってしまうのが悩ましいときは,カバージャケット&オビを外してから布カバーでくるむ.カバージャケット&オビがかばんの中でびりびりになるのは心が痛むので.

実際に自分の本を書くときにはカバージャケットやオビのコンテンツやデザインにも気を使うのでそれなりに愛着がある.以前,図書室に自分の本を寄贈したとき,ライブラリアンが目の前でカバージャケット&オビを剥がしてくしゃくしゃに丸めて捨てたときは “黒い殺意” が湧いた.

参考:Togetter -「@FeZn氏、本のカバー(ジャケット)と帯について語る」※とても熱く語られているんだなあ.