『恐竜学入門:かたち・生態・絶滅』

David E. Fastovsky,David B. Weishampel/John Sibbick(イラスト)[真鍋真監訳/藤原慎一・松本涼子訳]

(2015年1月30日刊行,東京化学同人,東京,xviii+396 pp., 本体価格6,800円, ISBN:9784807908561目次版元ページ

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恐竜の分岐学の良書



読み始めてから時間はかかったが,恐竜の分岐学の良書なので読むしかない.全編にわたって散りばめられた分岐図が議論のよりどころになっていて,恐竜の単系統群ごとの共有派生形質リストが完備されているので,系統発生を明瞭にたどることができる.最近は分子系統学の本や論文ばかり手に取る機会が多いが,形態系統学は古生物学では本道中の本道.随所に配置されている秀逸な恐竜イラストに惹かれる読者は少なくないだろう.ウィットに富む文章も散りばめられていて,大判二段組のテキスト分量にもかかわらず,読み疲れない.堅牢な装幀のハードカバーなので恐竜に踏まれても心配ないぞ.



本書は恐竜学の「教科書」なので,章ごとに参考文献と章末問題が付けられている.今の日本の大学で「恐竜学」という科目があるのかどうか知らないが,恐竜という生物群にかぎらず,形態形質にもとづく系統解析の方法と実践について学べる一般的な本として読むことができる.



章立て構成は次のようになっている.最初の「第 I 部 過去をたぐり寄せる」は総論.恐竜が生きた中生代の古環境の説明から始まって,化石発掘の実際,生物の系統関係の推定と検証,そして恐竜類にいたる系統発生の道筋を呈示する.総論に続いて各論に移る.「第 II 部 鳥盤類:鎧をまとい,角で武装し,アヒルのようなくちばしをもった恐竜たち」は,単系統群である恐竜類(Dinosauria)を構成する姉妹群のひとつ「鳥盤類(Ornithischia)」について.そして「第 III 部 竜盤類:凶暴,強力,強大な恐竜たち」はもうひとつの姉妹群である「竜盤類(Saurischia)」について解説する.いずれの章もきわめて多くの分岐図を示しながら,単系統群ごとに共有派生形質のリストが付けられている.最後の「第 IV 部 恐竜の内温性,地域固有性,起原と絶滅」は恐竜という生物の生理・生態・バイオメカニクスに関する知見を論じ,キラ星のようなスター研究者たちによる恐竜研究史をはさんで,三畳紀から白亜紀までのおよそ1億7千万年におよぶ恐竜の歴史をその誕生から絶滅まで鳥瞰する.全篇を通じて John Sibbick の手になるみごとな恐竜イラストが躍動し,これを見るだけでも本書を手にする価値があるというものだ.



イギリスの古生物学者 Richard Owen は1842年に化石記録に基づいて絶滅爬虫類の一群を「恐竜(Dinosauria)」と命名した.恐竜類はおびただしい数の絶滅生物のなかでもつねに脚光を浴び,博物館ではメインホールに鎮座し,映画になれば世界的な人気を博するキャラクターにもなった.恐竜は脊椎動物であるために骨が化石として残りやすかったこともさることながら,恐竜の発掘にその人生をかけてきた数々の伝説的研究者たちがいたことが,恐竜研究の “物語性” をいやが上にも高めたにちがいない.プロの古生物学者からアマチュア化石発掘者にいたるまで分厚い恐竜研究者層が形成された結果,進化・系統・生態・機能・分布を含め,ここまで詳細に調べてもらえる恐竜さんたちはシアワセな分類群だと感じずにはいられない.



ところどころ「基盤的」という翻訳表現があったが,元のことばはきっと「basal」だろうから,「根元に近い」と訳した方がよかったかもしれない.また,「phylogenetic systematics」を「系統体系学」ではなく「系統分類学」と訳してしまうと,「phylogenetic taxonomy」が訳せなくなる.Box 15・1 では「系統発生的分類」と訳出に苦労している.また,読み直して気づいたのだが,本書で参照されている文献(たとえば分岐学の教科書群)のいくつかはすでに日本語訳が刊行されている.言及があれば読者にとって有益だっただろう.もうひとつ.以前,「恐竜研究では分岐学はデフォです」と聞いたことがある.形態形質からの分岐分析の事前知識があれば,本書はすんなり読み進めるが,その事前知識があった方がいいかもしれない.最尤法とかベイズ法とは無縁の世界なので.



翻訳文化は日本の華である.本書の日本語訳はとても読みやすい文章で,ストレスを感じることはほとんどなかった.この良書を日本語で読めるのは訳者の努力と出版社の決断のおかげと言うしかない.



三中信宏(2015年8月5日)