『小尾俊人の戦後:みすず書房出発の頃』

宮田昇

(2016年4月25日刊行,みすず書房,東京, 8 plates+vi+402+xxii pp., 本体価格3,600円, ISBN:9784622079453目次版元ページ

読了.みすず書房の創業者である小尾俊人の伝記.著者・宮田昇はタトル商会を経て日本ユニ・エージェンシーを立ち上げた翻訳業界の専門家.戦後日本の翻訳出版と著作権に関わる本を多数書いている.本書の前半部分である第1章〜第3章(pp. 1-183)は伝記に当てられているが,残る後半部分の「付録」(pp. 185-393)の方が分量的には多い.

第1章で,著者は小尾俊人の出身地である長野県を何度も訪問し,小尾の第二次世界大戦後の活動を支えた “信州人脈” を明らかにする.続く第2章では,大戦中は厳しく統制されていた出版業は敗戦後いっきに復興した経緯が述べられる.戦時中は203社まで絞りこまれた出版社数は,敗戦直後の1945年末には566社,翌1946年には2459社,そして翌々年の1947年には3446社と,爆発的な増え方だったという(p. 94).小尾俊人が1946年に立ち上げた「美篶【みすず】書房」もまたそういう戦後の出版社のひとつだった.大戦直後の出版活況に押されつつも,ごく短命な “アプレゲール” 出版社が大多数だったなかで,みすず書房は危機的な試練を乗り越えて現在にいたったと書かれている.

小尾俊人が育てた著者・翻訳者らのサークルの力はただものではなかったようだ.1948年から始まった〈柊会〉には,島崎敏樹丸山眞男・佐々木斐男・日高六郎・飯島衛らみすず書房と縁の深い執筆者たちが集まったという.小尾俊人が事務方を務めた柊会はもともと「Speisegemeinschaft(食事を共にする雑談会)」(p. 136)だったと言っている.みすず書房の存続を支えた〈ロマン・ロラン全集〉など同社の中核的な出版事業はそのような人脈があればこそ可能だったようだ.

付録に所収されている大部の「日記「1951年」」(pp. 186-362)はかろうじて残された小尾俊人の一年分の日記である.公私の記述が入り交じった日々の記録だ.もうひとつの付録である「月刊「みすず」編集後記」(pp. 363-393)は1959年4月の『月刊みすず』創刊号から1962年1月まで小尾俊人が書いた編集後記の再録だ.

全編を通してディテールにわたる情報が詰まった本であることは確かで,巻末にまとめられた詳細な「小尾俊人年譜」(pp. i-xxii)がチャート代わりの索引として役立つ.

私的な人間関係が戦中戦後の出版業と翻訳業と深く関わっている点については,以前読んだ:長谷川郁夫『美酒と革嚢:第一書房長谷川巳之吉』(2006年8月30日刊行,河出書房新社,東京,vi+441+xvii pp., 本体価格5,800円, ISBN:4309017738書評目次版元ページ)を思い出させる.小尾俊人とは仲がよかった岩波書店は,長谷川巳之吉が創業した第一書房とは犬猿の仲だったようだ.