「“スーパーバイザー” というお仕事」

年末年始を返上してかかりきりになっている監訳の作業は連休三日目の今日も続いている.ワタクシはこれまで単行本の著者だったり翻訳本の訳者だったり論文集の編者となったことは何度もあるが,「監修」とか「監訳」という “役付き” になったのは今回が初めてかもしれない.本づくりで「監修者」や「監訳者」がいったいどんな仕事をしているのか,その実態が昔からワタクシにはぜんぜん見えていなかった.英語ではこの作業は「supervise」と呼ぶそうで,字義通りに解釈すれば「指導監督する」のが本務らしい.しかし,本の監修や監訳はそれだけじゃすまないようだ.

農林団地でひっそり “隠れて生きている” といろんな方面からいろんな原稿仕事のお誘いがやってくる.数年前にある編集プロダクション(編プロ)から「ある出版社から〜のテーマで本を書きませんか?」という申し出があった.ワタクシの関心からずれていたので最終的にお断りしたが,編プロの仕事を知ることができたのは有益だった.担当者によると編プロは複数の出版社からの依頼を受けて本づくりを請け負っているとのこと.ワタクシへの申し出は「〜の本の監修者になっていただけないか」という依頼だった.つまり,原稿は “別” に用意するから “監修者” として名前を使わせてほしいとの依頼である.これは初めての体験だった.ワタクシは,反射的に「それ,「あり」なんですか?」と不用意にも訊いてしまったのだが,おおいに「あり」との答えだった.そういうふうに本がつくられることもあるんだぁと素直に驚倒したしだい.

けっきょく,ワタクシの知り合いの別の某鳥類学者を “監修者” として紹介したところ,首尾よく引き受けてもらえたそうだ.結果オーライ.出版社と編プロとの関係はテレビ放送局と番組制作会社との関係に似ているのかなあ.振り返って,ワタクシが今まさに格闘している “監訳” のお仕事は,それに比べればもっと肉体労働かもしれないとしみじみ実感しているところ.もちろん “下訳” の原稿はすでに手元にあるわけだが,ほぼすべてのパラグラフをリライトしている真っ最中だ.三連休にもかかわらず,今日も現場監督がスコップをもって走り回っている.マークダウン原稿相手の “監訳” ┣┣" 撃ちはまだまだ終わらない.

参考:編集者|note(ノート)「声を大にして言いたい。監修者と著者の違いとは?」(2017年2月15日)