『「蓋然性」の探求:古代の推論術から確率論の誕生まで』1〜3章

ジェームズ・フランクリン[南條郁子訳]
(2018年5月15日刊行,みすず書房,東京, viii+609+88 pp., 本体価格6,300円, ISBN:9784622086871目次版元ページ

計700ページを超える厚さと重さではさすがに歩き読みできないので,机に向かって黙々と読み進んだ.第1章から第4章まで160ページ読了.古代から中世にかけての法学と神学が議論の舞台.



第1章「古代の証明法」・第2章「中世の証拠法 —— 嫌疑、半証拠、審問」・第3章「ルネサンスの法」は,古代からの法学における証拠の扱いと裁定の規則が確率(蓋然性)の概念的根幹をなしていると指摘する.つまり,証拠に基づく推論の構造に関する考察は中世より前にすでに深められていた.古代ローマ法におけるキーワードのひとつに「徴候(indiciis)」という用語がある(p. 18).著者によれば,この「徴候」とは「状況証拠」(p. 33)を指しているとされる.徴候という言葉が証拠と同義であるとすると,かねてから引っかかっていたワタクシの疑問のひとつがきれいに解決する.



カルロ・ギンズブルグが著書:カルロ・ギンズブルグ[竹山博英訳]『神話・寓意・徴候』(1988年10月刊行,せりか書房ISBN:4796701567)で提示した「un paradigma indiziario」という言葉は「徴候解読型パラダイム」と訳されてきた.ワタクシは『思考の体系学』や『統計思考の世界』でこれに言及するときは「痕跡解読型パラダイム」とあえて意訳した.以来ずっとこの訳でよかったのかどうか気になっていたのだが,『「蓋然性」の探求』の著者が「徴候」とは古代法学的には「証拠」の意味であると示唆したことにより,ギンズブルグの「徴候解読」あるいは「痕跡解読」とは要するに「証拠の解読(証拠からの推論)」だったことがわかって一安心した.



また,十年あまり前に読んだ,あの C. R. Rao 老師のある文章には,統計的推論には「法学的スタンス(a forensic attitude)」が必要だと書かれていた:C. R. Rao 2004. Preface in: Mark L. Taper & Subhash Lele (eds.)『The Nature of Scientific Evidence: Statistical, Philosophical, and Empirical Considerations』(2004年,The University of Chicago Press, Chicago, ISBN:0226789578), p. xi.当時は「どうしていきなり “法学的” という言葉が統計学の文脈で出てきたのか?」といぶかしく思った.しかし,「証拠からの推論」が古代法学からの伝統であるのであれば,確かに今の統計データ解析とのつながりがあることはまちがいないだろう.すとんと納得できた一瞬だ.



通常理解されている「確率」の数学的概念をもっと裾野の広い「蓋然性」という非数学的概念として理解し直そうというのが本書の視点だ.著者は序の中で,確率的推論を「無意識的な推理」から「数学的な推論」への移行として捉えている(p. 2).確率や統計のリクツの背後には仄暗い背景が広がっている.