『記憶術全史:ムネモシュネの饗宴』読売新聞書評

桑木野幸司
(2018年12月10日刊行,講談社講談社選書メチエ・689],東京, 348 pp., 本体価格2,000円, ISBN:9784065140260目次版元ページ

ワタクシの読売新聞書評(2019年1月6日付|jpeg)が〈本よみうり堂〉でオンライン公開された:三中信宏試行錯誤の歴史を解明」(2019年1月14日).この書評記事は,ブックバンにも転載されている.

試行錯誤の歴史を解明

 

 本書は15~17世紀の初期近代において、限りなく増え続ける知識を効率的に覚えるための記憶術が熱烈に求められ、そして忘れ去られていった歴史を、詳細な事例とともに解き明かす。記憶術の根幹は「場所(ロクス)」と「イメージ」と「秩序」の3原理にあると著者は言う。実在あるいは仮想の「場所」を想定し、記憶すべき内容を「イメージ」に変換し、この両者の組み合わせに対して効率的な「秩序」を与えることで、複雑かつ大量のコンテンツを「記憶」するわけだ。

 

 本書がターゲットとした初期近代は、生物分類学の歴史の上では、探検博物学の興隆により、全世界から動植物の標本や知見が西洋に大量に流入し始めた時代とちょうど一致する。それまでは個々の生物の特徴をくわしく記載するだけが博物学者の仕事だったのに対して、初期近代になると、蒐集(しゅうしゅう)したコレクションをいかにうまく分類するかを統括する原理と方法が求められるようになった。この時代における記憶術の発展が、記載から分類への必然的な移行と歩みをともにしていたと考えれば、近代生物学へのひとつの歴史的な道筋がそこに見えてくる。

 

 現代の進化生物学では、無数の動植物のDNA塩基配列情報に基づいて巨大な分子系統樹を推定することが普通になってきた。系統樹というダイアグラムによって可視化された「イメージ」の末端点や分岐点は、それぞれの生物が占める「ロクス」であり、その全体は系統関係によって体系化された「秩序」を形成している。これはもう現代の「記憶術」と呼ぶしかない。

 

 膨大な数の個物や知識と格闘したのは中世人だけではない。現代人もまた氾濫するデータや情報に日々翻弄(ほんろう)されている。こう考えれば、中世から現代にまで千年にわたって生き続けてきた記憶術は今なお存在意義があるといえよう。本書はその全貌(ぜんぼう)を知るためのタイムリーなガイドブックだ。

 

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年1月6日付)