『漢字の字形:甲骨文字から篆書、楷書へ』読売新聞書評

落合淳思
(2019年3月25日刊行,中央公論新社中公新書・2534],東京, viii+207 pp., ISBN:9784121025340目次版元ページ

読売新聞大評が公開されました:三中信宏進化する漢字の系譜 —— 漢字の字形…落合淳思著 中公新書 800円」(2019年5月19日).



進化する漢字の系譜

 世界中には数千もの言語があり、それらを書き記す文字システムにもまたアルファベットや漢字仮名やハングルをはじめとして数多くの種類がある。その中でも漢字という文字体系は、中国大陸から日本列島にかけての東アジア圏において、過去数千年にわたって途絶えることなく用いられてきたという点で他に類を見ない。本書はこの漢字がたどった変遷の歴史を独自の系統樹ダイアグラム(「字形表」)を用いて具体的にわかりやすく解説した本だ。

 古代中国での漢字のルーツは、四千年前の殷の時代に遡る。当時用いられていた甲骨文字は現実世界の事物を亀甲や骨に刻んだ象形文字だった。この祖先的な甲骨文字は、三千年前の西周の金文やそれに続く東周の簡牘文字を経て、秦の篆書から漢の隷書へ、そして現代の楷書へと字形と字体を大きく変容させた。

 本書の大きな魅力は、漢字のもつ“ヴィジュアル性”を著者が最大限に引き出している点にある。いにしえの漢字を現代の紙面にリアルによみがえらせるため、祖先漢字フォントをわざわざ新規製作した著者のいれこみようはただごとではない。本書の百あまりの字形表は、それぞれの漢字がたどってきた幾千年にも及ぶ錯綜した道のりをみごとに可視化している。

 ルーツ探しには万人を惹きつける魅力がある。他方、漢字の系統推定の探究にはまだまだ未開拓の問題が潜む。漢字の進化と生物の進化の間にはアナロジーが成立する。同じ祖先漢字から派生した複数の子孫漢字(「同源字」)は生物進化の言葉を借りれば「単系統群」と呼ばれる。また、ルーツは異なるにもかかわらず子孫の字形が類似する現象(「同化字」)は生物系統学的には「収斂現象」にほかならない。本書は、漢字の系統発生という観点に立ち、文字と生物を“進化”という共通の視点から考えることの意義を強くアピールしている点で、類書にない魅力に満ちている。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2019年5月19日掲載|2019年5月27日公開)