『SS先史遺産研究所アーネンエルベ:ナチスのアーリア帝国構想と狂気の学術』読売新聞書評

ミヒャエル・H・カーター[森貴史監訳|北原博・溝井裕一・横道誠・舩津景子・福永耕人訳]
(2020年2月29日刊行,ヒカルランド,東京, 797 pp., 本体価格9,000円, ISBN:978-4-86471-827-1目次版元ページ

読売新聞大評が公開された:三中信宏ナチスを支えた科学者 —— SS先史遺産研究所アーネンエルベ」(2020年5月3日掲載|2020年5月11日公開)※本書は厚さ800ページで9000円.挑戦的な価格設定ではあるがけっして高くはないだろう.



ナチスを支えた科学者

 本書を手に取ったのは何かの因縁だろう。以前、第二次世界大戦中の進化生物学について調べる機会があったとき、英語圏とほぼ同じ1940年代にドイツ語圏での進化理論の総合を成し遂げた中心人物である人類学者ゲルハルト・ヘーベラーやアーリア人種の優越性を実証しようとした植物遺伝学者ハインツ・ブリューヒャーがともに“アーネンエルベ”なるナチス・ドイツの研究機関に所属していたことを知った。

 本訳書はアーネンエルベの創立から解体に至る歴史(1935~45年)を明らかにした画期的労作だ。脚注を含めて800ページにも及ぶ内容は評者の予想をはるかに上回っていた。

 ナチス親衛隊(SS)ならびに秘密警察ゲシュタポを指揮したハインリヒ・ヒムラーは、ゲルマン民族独自の学術を構築する目的で、人文科学と自然科学を包括する国家的研究機関としてアーネンエルベを創設した。一方、ヒムラーの宿敵アルフレート・ローゼンベルクは全国指導者ローゼンベルク特別行動隊(ERR)を組織して、ヨーロッパ被占領国の貴重な図書や美術品を徹底的に略奪し破壊した。文化と学術をめぐるヒムラーとローゼンベルクの権力闘争は本書のいたるところで言及される。

 ヒムラーの庇護のもと巨大組織に成長したアーネンエルベには多くの研究者が群れ集った。しかし、ヒムラーは妄説にすぎない「宇宙氷説」を支持するなど荒唐無稽な学説や単なる思いつきで研究者たちを煽ることがあったという。酔狂な権力者に科学者コミュニティーが翻弄されるのは昔も今もどこでも起こり得る。

 ドイツ敗戦の45年にヒムラーは連合国軍の捕虜となって自殺したが、ヘーベラーは71年まで生き延びて進化学者としての名声を得た。ブリューヒャーは南米アルゼンチンに亡命したのち、コカイン栽培に手を染めたあげく91年に麻薬密売組織に暗殺された。アーネンエルベの結末は人それぞれだった。森貴史監訳。

三中信宏[進化生物学者]読売新聞書評(2020年5月3日掲載|2020年5月11日公開)



上の書評では,第二次世界大戦中のドイツ進化生物学とアーネンエルベとの関係に言及した.その天守閣で采配を振るったハインリヒ・ヒムラーは確かに夢物語(=ムーンショット)な妄説に肩入れして次々に新たな “研究課題” を立ち上げたが,下々の研究者たちはもっとリアルな科学者世界に生きた.

〈アーネンエルベ〉は第2次世界大戦中のドイツでの進化生物学の歴史をたどるときには方々で出くわす.たとえば,ドイツ版進化的総合を成し遂げたGerhard Heberer (Hrsg.)『Die Evolution der Organismen: Ergebnisse und Probleme der Abstammungslehre』(1943年刊行,Verlag von Gustav Fischer, Jena, X+774 pp.)の編者ゲルハルト・へベラーは〈アーネンエルベ〉所属だった.

また,もうひとりのハインツ・ブリューヒャーはエルンスト・ヘッケルの伝記:Heinz Brücher『Ernst Haeckels Bluts= und Geistes=Erbe : Eine Kulturbiologische Monographie』(1936年刊行,J. F. Lehmann, München,1 plate + ii + 188 pp.[Anfang: 1 Text und 1 Bildertafel]→目次)を書いた植物遺伝学者.ゲッティンゲン大学総長のカール・アステル(Karl Astel)の庇護のもと,アーネンエルベの自然科学部門に所属して活動した.

アーネンエルベを創立したナチス親衛隊ハインリヒ・ヒムラーは十分すぎるほどぶっ飛んでるけど,ヒムラーと対立したアルフレート・ローゼンベルクはもっともっとキケンな思想の持ち主だった.あの時代のドイツを生き抜いた科学者たちがオモテにならない “ウラ歴史” の連続だったのもむべなるかな.ヨーロッパを文化的に蹂躙した全国指導者ローゼンベルク特捜隊(ERR)については:アンデシュ・リデル[北條文緒・小林祐子訳]『ナチ 本の略奪』(2019年7月16日刊行,国書刊行会,東京, 431 pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-336-06321-2書評目次版元ページ)をごらんあれ.

研究機関としてのアーネンエルベがなぜ戦時中ずっと迷走したのか:「この謎解きの答えはふたたび,ハインリヒ・ヒムラーの人格の中にある.ヒムラーはすでに1937年には確固とした目的もなく研究任務を衝動的に委託していたが,戦争勃発後にもそのことから何も学んではいなかった.」(p. 382)/「学術と空想に関しては,空想を好み,観念世界を無限に好むヒムラーの傾向は,客観性と規律を求める衝動よりも依然として強かった.非現実的な根拠のほうが,現実的な根拠を無視してはるかにまさっていた.…冷静な慎重さをヒムラーは評価しなかった…彼には抽象化の才能が欠けていた」(p. 382)/「アーネンエルベにとって最大の悲劇は,自分たちの組織がヒトラーから評価されていないという事実だった.アーネンエルベには,ヒトラーの興味を惹起した活動はほとんどなかったからである」(p. 596)—— かの “総統閣下” はもともと専門知識とか研究活動に何の関心もなかったらしい./「アーネンエルベでは,管轄する学問分野は同一の方向をめざし,問題全体の解明に従事すべきであるという指針があった.ヒムラーが設定した組織原理だが,シェーファーが指揮する自然科学までもその原理に臣従していた.その結果,アーネンエルベの自然科学は最先端のものではなくなった」(p. 593)