『「色のふしぎ」と不思議な社会:2020年代の「色覚」原論』書評

川端裕人
(2020年10月25日刊行,筑摩書房,東京, 7 color plates + 348 pp., 本体価格1,900円, ISBN:978-4-480-86091-0目次版元ページ

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もうひとつの「人間の測りまちがい」

年の瀬に読了.うん,目が醒めるような良書.スティーヴン・ジェイ・グールド風に言えば『人間の測りまちがい[色覚編]』というタイトルになるだろうか.ワタクシ自身も小学生だった頃に視力検査とともに「色盲検査」を受診させられた経験がある.著者は「色盲」「色弱」「色覚異常」などさまざまなレッテルを貼られたことにより,色覚変異当事者にとって精神的な負担のみならず,彼らの人生が大きく変えられてきた色覚差別の歴史をたどる.

 

現代社会の中での「色覚」の占める位置を問い直す過程で,著者は色覚の分子進化研究の最先端にたどりつく.東大・河村正二グループの研究成果だ.色覚を司る遺伝子の分子進化という視点から見直したとき,色覚の変異は離散的ではなく,連続的なスペクトラムであるという新たな視野が広がる.巷間に広がる通説では,色覚異常の頻度は「男性が5%・女性が0.2%」とされている.しかし,巻末の補遺に詳述されているように色覚遺伝子の微小な変異まで含めれば,実に「40%」もの色覚変異のスペクトラムがなめらかに広がっているという.連続を離散に切り分けようとするヒトの欲望の罪は深い.

 

ワタクシ自身も経験した「色盲検査」は伝統的に〈石原表〉なる検査表を用いて実施されてきた.第6章「誰が誰をあぶり出すのか —— 色覚スクリーニングをめぐって」は,この石原表がもたらした暗黒の歴史をあぶり出す.この章を読むだけでも本書の価値は十分にある.この石原表は “第一種過誤” の確率に直結する「特異度」と “第二種過誤” の確率を反映する「感度」をともに最適化するという(pp. 256-257).統計学的に見てそれはムリであることは明らかだ.

 

しかし,驚くべきことに,石原表の信頼性をめぐっては批判的な検討がまったくなされてこなかったと著者は指摘する.石原表は色盲を検出する手段であり,色盲とは石原表によって検出された異常である —— これって文字通りの悪しき「操作主義(operationalism)」であることは誰の目にもはっきりわかるのに,それが見えてこなかったという歴史の闇には慄然とするしかない.

 

色覚変異をもつ当事者としての著者は,自分が受けてきた「赤緑色弱」という判定を長年にわたり引きずりつつ,自分の目を検体として自らの色覚変異の本性を知ろうとする.色覚の連続性と多様性を主張する本書は色覚に関する “当事者本” でもある.色覚変異のネーミングについて著者はいくつか提案をしているが,系統学的に言えば,多数派の “正常型” 色覚は「原始的(plesiomorphy)」であり,それから進化したさまざまな “変異型” 色覚は総称して「派生的(apomorphy)」と呼ぶのがシンプルだろう.

 

本書を読了してみてわかることは,色覚の最先端研究は想像以上に進展していて,それを社会の側がまだ十分に受けとめていないという “ズレ” が顕在化している点だ.色覚遺伝子のゲノム情報についての知見が蓄積されつつある現在,この “ズレ” をどのように解消していけばいいのだろうか.

 

一つだけ注文を付けるとしたら,色覚に関する多岐にわたるトピックスを論じた本書にとって,巻末に事項索引と人名索引がないのはとても残念だったという点だ.

 

三中信宏(2020年12月27日)