『虫たちの日本中世史:『梁塵秘抄』からの風景』第3〜4章

植木朝子
(2021年3月1日刊行,ミネルヴァ書房[叢書〈知を究める〉・19],京都, vi+327+11 pp., 本体価格3,000円, ISBN:978-4-623-09058-7目次版元ページ



第3章「中国文芸と鳴く虫・跳ねる虫 ── 機織虫・蟋蟀・稲子麿」の最初は “鳴く蟲” だ.その実体と名称との対応が時代的変遷し,現在の「キリギリス」「コオロギ」「カマドウマ」はかつてはそれぞれ「はたおりめ」「きりぎりす」「こほろぎ→いとど」と呼ばれた(pp. 108-9).こんがらがる…….「鳴く虫」の代表であるコオロギは同時に「闘う虫」でもあった.本章で言及される中国由来の「闘蟋」の遊びは本書でも引用されている:瀬川千秋闘蟋:中国のコオロギ文化』(2002年10月10日刊行,大修館書店[あじあブックス・044],東京, 4 plates + viii + 255 pp., ISBN:4-469-23185-1書評・目次)に詳しい.

次の第4章「王朝物語から軍記物語へ飛び交う虫 ── 蝶・蛍」は熟読する価値が高い.とくに蝶(チョウ)をめぐる昔と今のちがいについて,著者はこう指摘する:「花園に飛び交う蝶は,現代人の感覚からすれば,美しく優雅であって,賞美の対象としてなんら違和感のないもの」(p. 146)だった.しかし,「『万葉集』には蝶は詠まれず,中古・中世の和歌においても,生物としての蝶が正面から取り上げられ,愛でられることはほとんどなかった」(p. 146).その理由は「蝶はむしろ不吉なものであった」(p. 157)という連想が強かったからだ.美麗にして凶兆という蝶のもつ二面性に納得する.

蛍(ホタル)は蝶よりも不吉かもしれない.なぜなら,「日本の古典文学の中で,蝶に代って霊魂を表す虫 —— それは,蛍である」(p. 166)から.和泉式部の恋情,源三位頼政の亡魂,「腐草為蛍」の言い伝えなど当時の作品を挙げながら,生と死の变化を暗示する無常観の存在を著者は指摘する.