『天使突抜おぼえ帖』書評

通崎睦美
(2022年4月30日刊行,集英社インターナショナル,東京, 382 pp., 本体価格2,000円, ISBN:978-4-7976-7410-1目次版元ページ

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洛中定点観測半世紀

本書のカバージャケットをいったん外して,あらためて表紙と裏表紙のモノクロ写真から “天使突抜” の街の姿を想像してみるが,どこにでもありそうな京都洛中の街角だ.

 

ワタクシはいちおう「京都市生まれ」ではあるが,この本の舞台である “天使突抜” という場所は一度も行ったことがない. “ドンツキ” は知っていても “ツキヌケ” は覚えがない.ワタクシの知り合いの京都出身・在住者に訊いても,「そんなとこ知らん」と一言のもとに首を振られる.

 

ワタクシのような “よそさん” にとっては, “天使突抜” は,語感的にとてもインプレッシヴな地名ではあっても,場所的には京都やったらその辺にようある場所にしか見えない.しかし,洛中のこの場所に居を構えて半世紀あまり暮らしてきた著者は,彼女にしか語れない物語をつづる.

 

長く同じ場所に住むことである種の “定点観測” が可能になる.そこで観測されるものは, “定点” たる著者自身の自分史はもちろんのこと,ともに暮らしてきた家族の歴史,隣近所の人たちとのつながり,そして街そのものの過去から現在への変遷だ.居続けて初めてわかることがある.

 

三部構成の本書の構成は,思い出に去来する人たちを描いた「第一部 天使突抜の人々」,著者の個人史をたどる「第二部 記憶を紡ぐ」,そして文字通り〈カムカム通崎ファミリー〉な「第三部 通崎家の京都百年」だ.小さな町だからこそ,外からはけっして見えない濃密な歴史が息づく. “天使突抜” という街は京都の中に埋め込まれているので,歴史を掘り起こせばきりがない.著者は(ものもちがとても良い)通崎家に残されてきた物品や文書はもちろん,フットワーク軽く近在への聞き取りをしたり,新たな資料の発掘を踏まえて,この街の “ミクロヒストリー” を明らかにする.

 

著者の本業は木琴奏者だが,それ以外にもアンティーク着物コレクターという顔もある.本書を読み進むと,ときどき音楽界のビッグネームたちがひょこっと顔を出したり,今西錦司桑原武夫杉本秀太郎など著名人の名前がちらりと見えたりするのもまたおもしろい.

 

本書が読者に見せてくれる風景は,以前ワタクシが読んだ:鷲田清一[写真:鈴木理策]『京都の平熱:哲学者の都市案内』(2013年4月13日刊行,講談社講談社学術文庫・2167],東京,275 pp., ISBN:978-4-06-292167-1書評目次版元ページ)を髣髴とさせる.その鷲田も生まれ育ったのは近くだと著者は書いている.京都はものすご狭いなあ.

 

本書を読み終えて,あらためて同じ著者が地元の淡交社から出した:通崎睦美『天使突抜一丁目:着物と自転車と』(2002年12月4日刊行,淡交社,京都, 165 pp., 本体価格1,500円, ISBN:978-4-473-03728-2版元ページ)と通崎睦美『天使突抜367』(2011年3月14日刊行,淡交社,京都, 143 pp., 本体価格1,400円, ISBN:978-4-473-03728-2版元ページ)を本棚から引っ張ってきた.


—— 十年ごとに一冊出る “天使突抜本” .次の十年後は?

 

三中信宏(2022年5月3日公開)