『ルネサンス:情報革命の時代』書評

桑木野幸司
(2022年5月10日刊行,筑摩書房ちくま新書・1655],東京, 349 pp., 本体価格1,000円, ISBN:978-4-480-07474-4目次版元ページ

これまでの読書メモをまとめて束ねました.

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ルネサンスの知の体系化の諸相

「コモンプレイス編纂ならびに記憶術という,大変独創的な知のソフトウェアが存在した」(p. 64)というあたりが関心をそそる.

 

第1章「ルネサンスの地図の世界」(pp. 19-65)と第2章「百學連環の華麗なる円舞」(pp. 67-110)読了.第2章は “エンサイクロペディア” の語源を再考する.ルネサンス期の “エンサイクロペディア” には「百学連環」という完全なる “円環” のイメージを強調する傾向があった.しかし,著者は「ああ勘違い」(p. 80)と一刀両断する.もともとギリシャ語ではこの言葉は「一般教養」という程度の意味しかなかったと著者は指摘する.あらまあ.そもそも,当時実践されていた “エンサイクロペディア” は,文字通りの “円環” とはほど遠く,むしろ “樹形図” に近かったのではないかとも著者は言う(pp. 98 ff.).ををを〜.耳元で繰り返し召喚されている心地ぞする.

 

第3章「印刷術の発明と本の洪水」(pp. 111-146)と第4章「ネオラテン文化とコモンプレイス的知の編集」(pp. 147-198)の途中(p. 172)まで読了.第4章のキーワードである「コモンプレイス(loci communes)」的な知とは汎用性の高い言葉・概念・推論様式の集大成に当たるものとされている(pp. 168-170).古代ギリシャから伝わる弁論術/修辞法を総括した体系と考えればいいのだろう.

 

第4章「ネオラテン文化とコモンプレイス的知の編集」(pp. 147-198)読了.「コモンプレイス的知」について論議が進む.

「そもそもラテン語で『読む』を意味する動詞 legere には『集める』,さらには『奪い取る』という意味さえあった.要するに,記憶し学ぶに値するものを採取するのが,本来の読書の意味であったのだ.それはきわめて能動的な営為といえる.」(p. 174)

「実際どのような手順で一冊の本から語句抜粋が行われていたのだろうか.多くの場合,あとでまとめてノートに書き写したようだ.そのため,印刷本の_ページ余白_【マージン】に様々な記号や短いコメントを書き込む慣習が生まれた.十六—十七世紀の蔵書を見るとそれが分かる.」(p. 174)

「読書のさなかに欄外にメモを書き込み,抜粋し,アレンジを加え,自らの執筆に再活用してゆく,というインプット→アウトプットの知的サイクルの中で,コモンプレイス・ノートはむしろ,中央の結節点を形成していたといえる.」(p. 190)

 

著者の言う「コモンプレイス的知」が,ルネサンス時代にあっては,ピエール・バイヤールの言う「共有図書館」に相当する強力な影響力を有していたということか.

 

第5章「記憶術とイメージの力」(pp. 199-242)読了.記憶術三原理:「ヴァーチャルな器の作成」「記憶したい内容のイメージへの翻訳」「器の中へのイメージの配置」(p. 205).本章ではジューリオ・カミッロの〈記憶劇場〉がくわしく考察されている.あの半円形の劇場の図があればもっとわかりやすかったのではないか.いずれにせよ,中世の記憶術の興隆が,のちの博物学の発展そして博物館の成立と深く関わっていく経緯はとても興味深いストーリーだ.前章との関わりとして,著者は「十六世紀の知識人たちの間で,メディアを横断するかたちで情報編集のテクニックが共有されていた,ということだ」(p. 234)と言う.コモンプレイス・ブックもミュージアムも知識の体系化という点で共通の目的をもっていた.

 

第6章「世界の目録化 —— ルネサンス博物学の世界」(pp. 243-306)とエピローグ「「情報編集史」の視点から見えてくる新たなルネサンス像」(pp. 307-319)読了.

 

第6章では,16世紀における博物学の学問的成立を追う:「自然に関する総合的な知の探求,一貫した体系性をそなえ,独立したひとつの学術専門分野として確立されるのが,ルネサンスの時代,正確には十六世紀中葉以降のことである」(p. 256).本章が論じるルネサンス博物学の内容は,以前読んだ:Brian W. Ogilvie『The Science of Describing : Natural History in Renaissance Europe』(2006年6月1日刊行, The University of Chicago Press, Chicago, xvi+385 pp., ISBN:0-226-62087-5 [hbk] / ISBN:978-0-226-62088-6 [pbk] → 詳細目次著者サイト版元ページ)とぴったり重なる.自然物に関する知見の “情報爆発” は体系化の理論を要求する.

 

著者は言う:

「「秩序」すなわち厳密かつ合理的な分類体系を築くことが,記憶の便になるということだ.そして,精巧な分類の考案を可能にするのは,大量の標本を仔細に観察し,比較検討する必要がある.それを可能にしてくれたのが,植物園と乾燥標本,そして図譜であった」(p. 262).

 

本章では,「記憶の時代」から「分類の時代」への変遷をウリッセ・アルドロヴァンディを中心とする当時の博物学者の活動を通じて考察している.ワタクシ的には分類の論理と方法論の変遷により関心があるが,それはもう少し時代があとのことだ.

 

エピローグに登場するアッカデミーア・デイ・リンチェイについては,David Freedberg の大著:The Eye of the LynxThe Eye of the Lynx: Galileo, His Friends, and the Beginnings of Modern Natural History』(2002年刊行, The University of Chicago Press, Chicago, xii+513 pp., ISBN:0-226-26147-6 [hardcover] / ISBN:0-226-26148-4 [paperback] → 版元ページ)が本棚の奥でいまゴトゴト音を立てている.

 

ルネサンス期の情報氾濫との格闘を中世記憶術と関連付けて論じた本書は,現代にも連なる記憶術の知的遺産が何だったのかを議論する上でいい手がかりを読者に提供している.巻末の文献リストを眺めると知的な文脈がたどれる.しっかり読むべき良書.

 

なお,同じ著者の前著:桑木野幸司『記憶術全史:ムネモシュネの饗宴』(2018年12月10日刊行,講談社講談社選書メチエ・689],東京, 348 pp., 本体価格2,000円, ISBN:978-4-06-514026-0目次版元ページ)はワタクシが読売新聞で最初に書評した本(2019年1月6日付|jpeg)だった:三中信宏試行錯誤の歴史を解明」(2019年1月14日).

 

三中信宏(2022年6月11日公開)