『書籍修繕という仕事:刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』2/3まで読了

ジェヨン[牧野美加訳]
(2022年12月25日刊行,原書房,東京, 48 color plates +232 pp., 本体価格2,000円, ISBN:978-4-562-07243-9目次版元ページ

順調に読み進んでいる.11「朽ちゆく本の時間を止める」にはこう書かれている:

「本自体に大きな破損はなくても,すでに紙がかなり古くなっているとか,希少書籍ゆえ原本にあまり手を加えられないような場合は普通,本そのものに積極的な修繕を施す代わりに,原形をできるだけ維持しつつ(たとえそれが傷んだ姿であっても),今後の安全な保管に重点を置くことになる.その際,袋やケース,箱などが選択肢となる.これは技術的には『修繕』とは言いがたい.けれど『保存』の領域から見ると,本の時間を安全に延長するという意味で,やはり書籍修繕家の役割の一つだと言える」(p. 120)

本の時間を安全に延長する」という著者の考えは,トークンとしてのそれぞれの本がもつ人生ならぬ「本生」(p. 116)を尊重するという主義に裏打ちされている.崩壊しつつある本に積極的に介入して “修繕” するだけが進むべき道ではないということだ.

ワタクシの手元にも堅牢な本から “紙束” へと移行しつつある半崩壊本が何冊かある.それらは半世紀から一世紀も前の古書だったり著者自筆コメントが入った別刷りだったりする.本棚の中でページが散逸するのは忍びないので,適切なサイズのクリアファイルに入れて収納しているが,そのうち何とかしないと行けないなあと思いつつ幾年月.

そのあとの14「破損という勲章」では,マンチェスター・ユナイテッドに関する超巨大本(60cm×60cm×14cm, 37kg)を修繕するという大仕事が登場する.ワタクシがもっている19世紀の鳥類モノグラフ(Max Fürbringer 1888)も2巻合計で「38cm×28cm×18cm, 16kg」という巨大本だ.ベルリンの古書店で買った時点ですでに “紙束” 状態だった.造本が崩壊しているのをいいことに,巻末の石版画の図版だけ方々の高座に持ち歩いて見せて回ったが,もし修繕してもらったならば二度と自由に “外出” させられないだろう.それはこの本の “本生” にとってシアワセなのかフシアワセなのか.