『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』

ウェンディ・ムーア(矢野真千子訳)

(2007年4月30日刊行, 河出書房新社ISBN:9784309204765目次



第6章まで.読み進むにつれ,主人公ジョン・ハンターが「元祖・解剖男」のように見えてきた.夜陰に乗じて人間の屍体を館に運び込んでは腑分けをする.老若男女を問わず,身分の貴賎を問わず,ひたすら解剖しつくす態度は,確かに現代人の目から見れば,彼がある種の“マッド・サイエンティスト”のように映ってもしかたがないところはあるだろう.しかし,1700年代という時代の文脈の中に置いたときには,それとはちがう位置付けができるのではないか.この伝記の著者は,主人公につねに焦点を当てつつ叙述をするという方針で書き進めているようだが,この主人公を不可避的にとりまいていた学問的・文化的・社会的・宗教的な状況についてもっと書いた方がよかったのではないだろうか.当時の医学の世界では,内科医>外科医というステイタスの上下があることは知っていたが,外科学と床屋とが決別した後は,さらに外科医>歯科医という新たな上下関係が生じたそうだ.ほかに,リンパ系をめぐる功績争いやら,“手仕事”のわざを盗んだ盗まれたの諍いなど.

第8章まで.ハンターが行った歯の移植は,抜かれる方も植え付けられる方も想像すらしたくない“拷問”だったのだろうなあ(本書で描かれる外科的な手術や治療はいずれも麻酔なしだった).興味深いのは,ハンターが医学とともに一般的な博物学にもしだいに関心を広げていったという点だ.スコットランドの学的伝統が間接的にせよ影響を及ぼし始めたということなのだろう.「存在の連鎖」につながれたり,前成説ではなく後成説を支持する見解を表明したりしたハンターがここにいる.