『Herman Johanes Lam (1892-1977): The Life and Work of a Dutch Botanist』

Marius Jacobs

1984年刊行,Rodopi, Amsterdam, viii+273+32 plates, ISBN:9062035450 [pbk])

「分類群(taxon)」の造語者はドイツの Adolf Meyer (1926) なのだが,伝記的情報がなかなかヒットしない.フシギに思って自分の日録を掘り返したら,一昨年の過去ログにちゃんと載っていた.初出:Adolf Meyer (1926) Logik der Morphologie im Rahmen einer Logik der gesamten Biologie. 彼は1938年以降「Adolf Meyer-Abich」と改名する.植物分類学者 Herman Lam は Meyer-Abich の「taxon」を一般の生物に敷衍したのは1936年のこと(p. 76).のちに,1950年の国際植物学会議でこの用語は公式認定され,雑誌名『タクソン』それにちなんで採用されたとのこと.

H. J. Lam (1936), Phylogenetic symbols, past and present (being an apology for genealogical trees). Acta Biotheoretica, 2: 153-194.この論文は『系統樹曼陀羅』でもソースとして重宝した.序言で「早田文蔵の高貴なる精神の追憶に捧げる」と記されているように,Herman Lam は早田文蔵の「動的分類学(dynamic taxonomy)」に心酔したと伝記著者は記している(p. 67).Lam は旧蘭印のバイテンゾルク植物園(現在のボゴール植物園)に勤務していたころ,臺灣帝國大學にいた早田文蔵の論文「動的分類体系に基づく植物の自然分類」(1921)を読み,深く感銘を受けたという:B. Hayata (1921), The natural classification of plants according to the dynamic system. 臺灣植物圖譜・臺灣植物誌料・第拾巻,臺灣總督府民政部殖産局編,pp. 97-234.

早田文蔵の「動的分類学」は,彼自身が論文中に明記している通り,天台宗華厳経の宗教的啓示を受けて思いついたネットワーク的分類の方法論である.もう少しのちの時代ならば,多変量解析の一理論とみなされただろう.Herman Lam はそういう早田の宗教的背景は抜きにして,彼なりに「動的分類学」を咀嚼し,後年の分類観・系統観を形成していったと伝記著者は考えている.系統樹図像史の観点からは Herman Lam の論文(1936)はとても興味深いものがある.早田文蔵の「動的分類学」からの影響が大きかったとすると,もういちど見なおす必要があるかもしれない.

そういえば,旧蘭印時代のインドネシアには大量のオランダ語自然史文献が残されたが,現在ではオランダ語が読める科学者は日本にはほとんどいないはずなので,手付かずのまま放置されているのだろう.もう二十年ほど前のことになるが,いまのJICA国際研修センターで統計学の講義を年に数回行なっていたとき,そこにおられた阿部登さん(ヤシの研究者)から,蘭印時代のオランダ語で書かれた害虫学の文献を読んでもらえないかと依頼されたことがある.『ヤシの生活誌』(1989年2月刊行,古今書院[作物・食物文化選書・11],京都,ISBN:4772214844)の著者でもある阿部さんの話では,東南アジアの自然環境・生物相・農業などに関連するオランダ語文献は誰も読む(読める)人がいなくなっているとのこと.自然科学の「非英語文献」がどんどん疎遠な資料群となりつつあることを痛感した.