『Systematics and Biogeography: Cladistics and Vicariance』

Gareth Nelson and Norman Platnick

(1981年刊行, Columbia University Press, New York, xiv+567 pp.,ISBN:0231045743 [hbk] → pdfダウンロード



三中信宏:「[心にのこる1冊]生物体系学と生物地理学」

掲載誌:『科学』(岩波書店),第76巻,第4号,438-439頁(2006年3月発行)
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〈心にのこる1冊〉

Gareth Nelson and Norman Platnick
『Systematics and Biogeography : Cladistics and Vicariance』
(1981年刊行,Columbia University Press,ISBN:0231045743


ガレス・ネルソン,ノーマン・プラトニック著
『生物体系学と生物地理学:分岐分類学と分断生物地理学』
コロンビア大学出版局,1981年.

 現在,地球上の生物に関しては,形態・行動・発生・遺伝子にわたる実にさまざまな情報が集積されつつある.そして,生物多様性を対象とする大規模な世界的プロジェクトがいくつも立ち上げられ,多くのマンパワーと予算がつぎこまれている.しかし,生物多様性の科学は単に知識量だけで解決できるわけではない.むしろ,そのようにして集積されたデータを適切に体系化し整理することによって,生物相に関わる仮説をテストすることが大きな目標となるだろう.

 生物体系学(systematics)と生物地理学(biogeography)とは,生き物の時間的および空間的な多様性を体系化する学問である.そして,過去半世紀の間に,これら二つの学問分野をめぐっては,哲学的な対立からデータ解析法の論議にいたるまで大きな論争が繰り返し勃発してきたというたいへん興味深い経緯がある.生物分類体系を系統樹に基礎づけるべきなのかどうか,その系統樹をいかにして推定すればいいのか,分類と系統とはどのような関係にあるのか,生物の地理的分布の解析方法はどうあるべきか,系統発生のパターンと生物進化のプロセスとはどのように照応するのか−−このような大問題が何十年にもわたって論じられ続けているというのは,生物体系学や生物地理学が直接的な観察や実験によっては決着がつかない歴史科学としての特徴をもっているからにほかならない.

 もちろん,科学史・科学哲学の側から見ても,現代の生物体系学史と生物地理学史はおもしろい問題を提起してきたわけだが,それ以上に,中にいる研究者たちにとって,よって立つ学問の根幹が戦場になるという状況を前にして,安穏としていられるわけがない.とりわけ,生物多様性に関わる理論的・概念的な問題群を論じる雰囲気が乏しい日本では,いったい何が問題なのか,どうして論争になるのかという背景からして努力しなければ理解しづらいという特殊な事情がある.私が大学院に入って生物体系学の理論について学びはじめた当初はまさにそれが当てはまっていた.そして,Nelson と Platnick の「教科書」を読みはじめたときに最初につまずいたのは,いったいこの本をどう読めばいいのかがわからないという点にあった.

 自分が関心をもつ専門分野の「教科書」と呼ばれる本を読むときには,二段階の読み方が考えられる.まずはじめに,とにかくその本を読みきって,そこに何が書かれているのかを理解し,その上で自分がそこから何か吸収すべきものがあるのかどうかを判断するという読み方である.この読書法は“本を学ぶ”と表現できよう.しかし,もう一歩進んで,その本がなぜ書かれなければならなかったのかを問いかけ,ある学問の系譜の中でその本が占める位置と意義について考えてみるという突っ込んだ読み方が可能である.この読書法は“本で学ぶ”と言い表せるだろう.

 “本を学ぶ”ときに得られるものは,そこに書かれている学問的内容に関する体系的知識であり,それが期待されるからこそ「教科書」という評価が与えられると.一方,“本で学ぶ”ときに得られるものは,科学史に対する読者の興味の強さと背景となる知識をどの程度もっているかによって大きく変わってくるだろう.とりわけ,短期間に大きく成長し変貌した学問分野においては,ある「教科書」が書かれるということは,研究者コミュニティにおいてその著者が試みるひとつの研究戦略にほかならない.新しい学問的体系を提示し,その勢力を伸ばそうと意図するとき,「教科書」を世に出すことは小さからぬインパクトをもち得る.本を書くことは闘いを挑むことなのだと私は思う.

 Nelson と Platnick の本は,当時から分岐学(cladistics)と呼ばれてきた体系学の方法論を大きく転回させるきっかけになった.もっと正確に言えば,その出版に先立つ10年の間に Nelson がニューヨークのアメリカ自然史博物館を中心として進めてきた分岐学の方法論的発展の「決算報告書」であり,後年,発展分岐学(transformed cladistics)と称される系統学の方法論の「公式文書」とみなされるからである.本書は表向きには1981年の出版ではあったが,その影響は出版される数年前から歴然と見られた.本書のもとになった原稿は,関係者の間で内々に読まれ,そしてさかんに引用されていたからである.

 分岐学という生物体系学の一学派の源流のひとつは,ドイツの昆虫学者 Willi Hennig が1940〜60年代に確立した理論体系までたどることができる.Hennig 自身は特定の種概念と系統進化のモデルを前提として,彼の系統学理論をつくった.これに対して,Nelson は Hennig 理論からできるかぎり進化プロセスに関わる仮定を排除し,系統発生のパターンを純粋に抽出できる方法論として発展分岐学を提唱したのだった.さらに Nelson は,科学哲学者 Karl Popper の反証可能性の理論および汎生物地理学の構築者である Leon Croizat の理論をもちだすことで,生物の時間的・空間的パターンを抽出する一般的方法を目指した.

 彼がそのような新しい体系学の理論を提唱するにいたった動機の中心には,現代進化学の主流である,自然淘汰を説明理論とする総合学説に対する懐疑心があったことは疑いない.科学的説明としての自然淘汰理論の認識論的地位については当時の科学哲学の世界では声高に論じられていた(Popper 自身も含めて).その余波が生物体系学(と生物地理学)に及んだと考えることは不自然ではない.そして,そのことが発展分岐学に対する「反進化論的である」という反撃にもつながったことは事実である.しかし,彼らの本は,500ページを費やしてまで「反進化」を論じたわけではない.むしろ,それは「系統樹の科学」を体系化し,「系統樹という言語」を定式化したという意味で画期的な著作だった.

 発展分岐学は確かに「系統樹の数学」を素描していた.1970年代に回覧されたというNelsonの未発表原稿は,後にロンドンの自然史博物館の知人(David M. Williams 博士)を通じてそのコピーを入手できた.それを読むと,Nelsonが当時提唱した系統樹の構造に関する分析方法−−「分岐成分分析」(cladistic component analysis)と呼ばれた−−は,図的言語としての系統樹を「分岐図」(cladogram)という名前で新たに定義し直し,分岐図の満たすべきいくつかの数学的条件と性質を明らかにするという目標を置いていた.本書で示唆された「系統樹の数学」の構想が,1985年に東大農学部に提出した私自身の博士論文のメインテーマとなったのは,Nelson と Platnick の“本で学んだ”成果だった.

三中信宏(22 February 2006 原稿|10 September 2010 修正)