『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた1』

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房ISBN:4622071312



第1巻の第1章〜第4章まで読む.第1章「真理をめぐる闘いとしての社会生物学論争」では,全3幕構成“オペラ”に見立てた論争の経緯の脚本とキャスティングが示される.音楽はどうします? やっぱりワーグナーですか? 個人的には,シェーンベルクの〈グレの歌〉が意外に合っているような気がする(ワルデマールの亡霊が地を駆けめぐり,民が震え上がるところとか).あるいは,リヒアルト・シュトラウス交響詩英雄の生涯〉か(とってもオペラ的だし).「背景でバスーンの音が響いている」(p. 15)−−とすると,カール・ニールセンの第6交響曲か(外したかも).

第2章「社会生物学をめぐる嵐」と第3章「衝突に突き進む同僚」は,E. O. Wilson が大著『Sociobiology』を出版した1975年直後に勃発した闘いを記述する.とくに,著作のもつ政治的意味合いに関して極度に鈍感だった Wilson と,対照的にそういうことに関して極度に敏感だった〈人民のための科学(SftP)〉グループ(とくに中心的役割を果たした Richard Lewontin)との間の緩衝なき正面衝突について詳しく書かれている.例の「水掛け事件」も登場する.30年前のこの論争が始まった頃は,ぼくはまだ大学入学直後で,農学部に進学してから初めて『Sociobiology』輪読会に参加した.あの敷石のように四角くて重い本を抱え歩く光景が日本のいたるところで見られたと聞いている(思索社からいささか時期遅れの翻訳が出る前のこと).もちろん,SftPの活動も聞き知っていて,『Biology as a Social Weapon』という本のコピーをもっていた(セーゲルストローレ本でも言及されている初期のアンチ社会生物学文献).SftPの実質的指導者が Lewontin だったことを本書で再認識した.

第4章「英国派とのつながり」では,William Hamilton が包括適応度の論文を Journal of theoretical Biology 誌に載せるまでの悪戦苦闘ぶりが描かれている.彼は,群淘汰説礼讃の当時のイギリス生物学界の中で,徹底的に冷遇され続けたとか.生物系であるにもかかわらず,なぜLSE(London School of Economics)の社会科学研究室に在籍しなければならなかった理由とか,その後に移籍した University College の Francis Galton Laboratory(あのJTB論文はここの所属から書かれたと記憶している)でも机ひとつもらえなかったこととか.E. O. Wilson の『Sociobiology』の最大の功績のひとつは,埋もれた Hamilton をよみがえらせたことにあると著者は書いている.

ここまでのところ,よく訳してあると感じるが,雑誌誌名まで翻訳してしまうのはやり過ぎだろう.〈理論生物学雑誌〉(p. 90)はすぐ同定できるからいいとして,たとえば〈季刊生物学評論〉(p. 92)とか〈行動科学と脳科学〉(p. 46)という誌名が,それぞれ〈The Quarterly Review of Biology〉と〈Behavioural and Brain Sciences〉に対応していることが即座にわかる人はあまりいないんじゃないか.そういう翻訳方針で徹底するなら,〈Science〉と〈Nature〉も,同様に,〈科学〉とか〈自然〉と訳してあるのかといえば,これはカタカナ誌名のままだし(不徹底).本書の想定される読者層は決して一般読者ではなく,むしろそれなりの背景知識をもった読者だろうということを考えると,誌名(そして書名)を悩ましく訳されるくらいだったら原語のままの方がむしろよかったと思う.