『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた1』

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房ISBN:4622071312



第5章まで読了.William Hamilton のJTB論文(1964)は,その独特の数式の「表記に用いられる白丸と黒丸の区別がはっきりつかないタイプライターを使っていた」(p. 106)ので,査読した John Maynard Smith は放り出しそうになったそうな.Hamilton 論文を一度でも見たことのある読者ならば,著者が言わんとしていることがよく理解できるだろう.あの論文を第1部と第2部に分割するように指示したのは Maynard Smith らしいが,そのあたりの事情はすこし微妙なものを含んでいるようだ.Hamilton のケースは確かに不遇ではあったのだが結果的にはハッピーエンドだったのかもしれない.それに比べると共分散公式で知られる George Price の場合はもっと天才的かつ悲劇的なケースだったのだろう.木村資生の中立説本の出版にあたっては Maynard Smith がケンブリッジ出版局に対して強力にプッシュした話とか(p. 103),Karl Popper は社会生物学のテスト可能性に関してほとんどボケたような返事しかよこさなかった話とか(p. 125),第4章はエピソードにこと欠かない.

続く第5章「社会生物学の秘められた背景」は,E. O. Wilson と同時代に活動を始めた Robert Trivers が主役を演じる.Maynard Smith の血縁淘汰理論とTrivers の互恵的利他主義が当時の動物行動学の研究者コミュニティーの中で「雪崩」のごとく思想的転向を押し進め,結果として「集合的過程」(p. 145)とも呼べる現象が社会生物学を一気に前面に押し出したと著者は言う.この章では,1970年代の『Sociobiology』出版前後におけるアメリカとイギリスにまたがる進化学の流れの趨勢を総括する.とくに,結果として『Sociobiology』の起こした衝撃波に消し飛んでしまった同時代の近縁著作(たとえば,Michael T. Ghiselin『Economy of Nature and the Evolution of Sex』1974 など)にも言及されていて,Wilson ただひとりが「総合」を成し遂げたわけではないという点が強調されている.

本書が描き出そうとしてる「学問の流れ」のオモテとウラを論じることは,何よりもまず情報源にアクセスできるということがもっとも重要なことなのだろう.著者は,社会生物学が立ち上がりつつあった(そして論議がもっとも沸騰していた)1980年代はじめから,関係者に対する個人的な接触を通じて,この学問分野の系譜をずっと「観察」してきた.そのスタンスのもちようは,体系学の現代史と体系学者の抗争を記述した David L. Hull の『Science as a Process』に通じるものがある.もちろん,実際に「身をもって体系学してしまった」Hull に比べれば,あくまでも観察者としての身分を堅持した本書の著者は体温差があるのかもしれない.しかし,ここまで読んだ範囲では社会生物学の三十年に及ぶ歴史が生き生きと描かれていて,この分野の成り立ちに少しでも関心をもつ読者にとっては必須文献のひとつと言わなければならないだろう.

Lewontin や Gould らによる猛反撃は次章以降のテーマだ.