『虫食む人々の暮らし』

野中健一

(2007年8月30日刊行, NHK出版[NHK Books 1091], ISBN:9784140910917



【書評】

※Copyright 2007 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved


とても楽しい「昆虫食」の紀行本だ.昆虫食に親しんだ著者自身の生い立ちから出発し,南アフリカカラハリ砂漠での長期フィールドワークを経験し,「ずぶずぶ隊」を率いて進軍するラオスではツムギアリに局部を噛まれ,中国・雲南地方にかけてのアジア東南部を経て,再び日本に戻って自らに向かい合う.「虫を食べる文化」のもついくつかの様相を本書を通じて知ることになる.

本書は,単なる「ゲテモノ食」の突撃レポート本ではない.前書:野中健一民族昆虫学:昆虫食の自然誌』(2005年11月16日刊行,東京大学出版会ISBN:4130601857目次書評版元ページ)で著者が訪れた地域と重なりを見せながらも,その後の知見を加えて一般向けに「昆虫食文化」を説く.昆虫学者による昆虫食の本は何冊かあるが,民俗生物学や文化人類学の観点からの切り口が著者の魅力だろう.栄養源としての昆虫資源というだけではなく,それぞれの地域ごとの社会や文化を構成するひとつの要素として「昆虫食」をとらえると言ってしまっては硬すぎるかもしれない.要するに,それぞれの社会でどのように虫を美味く喰っているかということだ.

カラハリ砂漠のエビガラスズメの幼虫(現地名ギューノー)は“ゴー”な美味さと“コムコム”な舌触りが絶品だという(p. 85).東南アジアの巨大なカメムシはその臭さは確かにきついのだが,生でかじると“キュー”なおとなの味わいがこたえられないという(pp. 121, 125).しかも,この国ではカメムシは比類のない“マン”な美味さで大人気の食材なのだそうだ(p. 117).日本のスズメバチ(信州のヘボ)も負けてはいない.生で,佃煮で,そして松茸と並んで鮨にもなるという.日本の伝統社会の中で食材としての昆虫がもっている地位の高さは驚くばかりである.ましてや,世界の中での昆虫食の広がりと深さははかりしれない.

ラオスでは,農耕用に飼育されている水牛の糞を丸める巨大なフンチュウ(糞虫)まで食べるという.著者は,その味わいを自分の舌で味わうためにたいへんな努力をし,その過程の試行錯誤は周囲の“一般人”にはたいへんな迷惑だったそうだ.巨大なフン球の中で糞を食べながら育った幼虫が,蛹化する直前に胃の中の糞をすべて吐き出すその一瞬が“食べごろ”なのだという.それを発見した現地の人たちの執念とそれを伝える食文化の奥深さはもちろん,それを追体験しようとし続ける著者の好奇心の強さには脱帽せざるをえない.さぞかし美味いにちがいない.

もちろん,世の多くの人々が「蟲を喰う」ことに関してきわめて消極的であることを著者はよく知っている.その上でなお,著者は「蟲は美味い」と言ってしまう.大学の講義の中で学生に昆虫食を体験させるというのは賭けに近い試行だったのではないだろうか.しかし,それ以上に,「蟲を味わう」ときの微妙な食感や味覚をどのように伝えられているのかを本書を手に取った読者はぜひ疑似体験してほしい.もちろん食慾に負けてはいけない.著者が最後に言うように,「虫食む人々」は人間社会と昆虫世界とを同列に見通す視線をもっているという(p. 206).少しでもその視線を共有できれば,アナタももうりっぱな蟲喰いだ.

三中信宏(11 September 2007)



[付記]本書のイラストを担当した柳原望さんのブログ〈つれづれやな〉の8月29日付記事によると,本書にも登場する南アフリカの「モパニムシ」でつくったストラップ(著者が一家総出でつくったそうな)が都内某書店でプレゼントされていたが,あっという間になくなってしまったとか.ほしかったなあ…….(9月12日記)