『生物学史論集』

木村陽二郎

(1987年4月30日刊行,八坂書房,東京,431 pp.,ISBNなし)

当然のことながら植物分類学史に関係する論考が多い.著者が,早田文蔵の最後の教え子だったことを初めて知った.早田の回想記事(初出は『遺伝』1967年)が所収されていたので,さっそく読む.早田はダーウィン自然淘汰説にも系統分類学にも反対する立場だったようで.彼の動的分類学の深層動機もまたそのあたりにあったとのことだ.それにしても,晩年は持病に悩んでいたようで,とくに著者が学んだころはいつ死んでも不思議ではないと自分も周囲も認識していたらしい.

第1章「ヨーロッパにおける生物学の発展」(pp. 13-51)は,まあ生物学史概論ということで.第2章「植物分類体系の歴史:人為分類と自然分類」(pp. 52-81)はたいへん勉強になる.第3章「生物学の比較研究法の歴史:形態学の根本問題の歴史的考察」(pp. 82-103)もまた,比較生物学としての形態学についての概論でよくまとめられている.

第一部の最後のふたつ,第4章「ジョフロワとキュヴィエのアカデミー論争」(pp. 104-119)と第5章「メンデルの遺伝法則の系譜」(pp. 120-127)に続いて,第二部では日本の博物学と植物分類学歴史をたどる.長大な第1章「日本における自然誌の歩み」(pp. 131-176)では,江戸時代から現在までの植物(分類)研究,とくに小伝を絡めた研究者群像が描かれる.初めて見る写真や肖像画も少なくない.

日本の本草学史・植物学史を論じた第二部の第2章「植物学に魅せられた人びと」(pp. 177-196).江戸時代以降の著名な本草学者・植物学者たちをとりあげている.『本草綱目啓蒙』を著した小野蘭山の肖像はほとんど「ゴルゴ13」のような切っ先の鋭い眉毛とスナイパーのごとき眼光が印象的.終生にわたり「攻めの人生」を送ったという.多くの点で同時代の貝原益軒(『大和本草』の著者)とは対照的だったそうな.続く第3章「江戸時代渡来の植物図譜」(pp. 197-217)はタイトル通りの内容だった.

第二部の続きを250頁まで読み進んだ.第5章「リンネの雌雄蕊分類体系の導入」(pp. 227-239)はリンネ分類学の日本への上陸について.第6章「メンデル遺伝法則の理解」(pp. 240-250)では,メンデルの遺伝法則の中の「分離の法則」が,日本の生物教科書の大半で「対立遺伝子の分離」ではなく「表現型の分離」と誤って説明されてきた経緯が論じられている.おもしろい.

第三部に進む.このセクションは「本」の話.ゲスナー,ドドネウス,ツュンベリーなど日本の本草学・植物学の歴史に関わる書物を著した人物の小伝,かつての彩色植物図譜のエピソード,シーボルトの日本での研究活動,さらに牧野富太郎の『日本植物図鑑』まで.以上,第三部を読了し,読破ページ数は300ページを越えた.しかし,まだ100ページ以上も残っている.