『社会生物学論争史:誰もが真理を擁護していた1』

ウリカ・セーゲルストローレ

(2005年2月23日刊行,みすず書房ISBN:4622071312



第9章「道徳的/政治的対立はつづく」を読了.1970年代の“嵐”の時代が過ぎ,続く1980年代に論議の構造がどのように変貌していったかをたどる.ウィルソンは〈社会生物学〉の最前線から身を引いて,今度は新たな時代を画することになる〈生物多様性〉の大波を作り出すべく尽力することになる(p. 305).社会生物学がらみの論議の舞台は,グールドとウィルソンとの論争に場面を移す.彼らの「長々しいデュエット」の歌詞は本筋から少しずつ的を外しつつも,一般からの注目を集めることになった.

論争が生産的?な山場を越して,退廃期に向かうにつれて,一見「周縁的」な挿話的現象が眼につくようになる.たとえば,当時ぼくもそのウワサを聞いたことがある【Isadore Nabi】の話(pp. 318 ff.).1981年の Nature 誌に載った,ある社会生物学批判レターを書いたとされる【Isadore Nabi】なる人物はいったい誰だったのかという「事件」.書いたとされる本人(Isidore Nabi)からの反論が載ったり,ウィルソンが糾弾したり,偽名を使ったと疑われた[実際には真犯人だった]ルウォンティンの否定発言が掲載されたりという一悶着があった.結局,セーゲルストローレがルウォンティンから「真相」を聞き出し,「事件」の全容は解明された.ここで,注目されるのは【Isadore Nabi】という名称が,現代数学の【ブルバキ】と同じ役割を果たした生物学者の匿名集団だったという事実だ(pp. 321-322).1960年代はじめに結成されたこの“地下集団”には,ルウォンティン,レヴィンズ,レイ・ヴァン・ヴァーレン,L・B・スロボドキンとともに,ロバート・マッカーサー,そして他ならないエドワード・O・ウィルソンが含まれていたという.このエピソードは,ぼくにとってのいくつかの積年の疑問を解決するのに役立った.先立つ第3章で,ウィルソンは著者のインタヴューに答えて,こう語っている:「六〇年代の初め,私たちは,ヴァーモントの〔ロバート・〕マッカーサーのところへ集まった.メンバーはほとんど同い年で,六人ほどだった.私たちは小さなグループ,六〇年代初めの自意識過剰な小グループを形成した.・・・私たちは,モデルづくりに基づいた新しい集団生物学をどうすれば生み出せるか・・・について深く考えながら語り合った」(pp. 70-71).

そうか,このグループが【Isadore Nabi】だったのか! ウィルソンは,後に『The Theory of Island Biogeography』(1967年,マッカーサーと共著)という有名な本を書き,その後もジョージ・オスターとの共著で昆虫の社会制進化の理論書,そしてラムズデンとの共著で文化進化に関するモデル本というように,数理生物学者とタッグを組んで本を何冊か書いたわけだが,その基本スタイルの発祥は【Isadore Nabi】にあったと考えていいのだろう.なあるほどねー.

第9章をもって上巻は終わる.この巻を構成する第1部「社会生物学論争で何があったのか」は要するに historiography だ.30年に及ぶ社会生物学論争の経緯を上巻でまずたどったのちに,下巻での「解読作業」に入ろうということだろう.読者によっては,上巻に描かれた historiography さえ読めばそれで十分かもしれないが.