〈ブログ作法〉特集:『ユリイカ』37巻4号

(2005年4月1日刊行,青土社ISBN:4791701321



ほぼ読了する.これからのウェブログの「可能性」うんぬんよりは,むしろはしばしに言及される「昔話」の方がずっと印象的だった.来年には完全消滅する,ニフティの“パソコン通信”時代の想い出とか.本題である〈作法〉について何が書かれていたのかは,「更新されてなんぼ」ということ以外はほとんど記憶に刻みつけられなかった.それならそれでとてもシンプルでいいんじゃないですか.

今回の特集では,ぼくも使っている〈はてな〉が主役なので,思い当たる節がいくつもある.たとえば,特集冒頭の「青土社頂上対談」(pp. 64-102)の中に,こういう一節がある(p. 85):




[鈴木]…… はてなは,学者や人文系の人が最近はどんどん増えてきていて.

[栗原]もともと多かったけど,さらに?

[鈴木]そう,多かったところに,あの人がやっているなら自分も,という感じで参加してきて.学者にはプライヴェートなことを書くという動機がないから,プレゼンスを保つことが目的ですね.学会とかでも「id:何とかさんですよね」といった会話がほんとにあるんですよ.

[仲俣]学会がすっかりオフ会になってる(笑).



先日の生態学会大阪大会を思い起こすと,ごく最近は“理系”でも近いものが感じられるぞー.ぼくも,今度どこかの学会講演で「id: leeswijzer で〜す.よろしくぅ」と言ってみようかしら.(はずしたときがコワいけど……)

でも,「学者にはプライヴェートなことを書く動機がない」という主張は,ぼくがまわりを見るかぎり,繰り返し反駁されているように思われる.動機はあると思う.これが「学者にはプライヴェートなことを書く機会がなかった」という指摘だったなら,ぼくは多いに賛同しただろう.

稲葉振一郎さんの記事「BBSからブログへ:極私的ブログ考」(pp. 112-117)にも,立ち止まる記述がいくつかあった.かの〈黒木掲示板〉についての追想は耳をそばだてる人も少なくないはず.『「知」の欺瞞』ネタあり(あれ,禍々しきルシフェルへの言及は? それと一歩間違っていたら,アノ人が翻訳に関わっていたかもしれなかったという点は?).匿名発言に関する見解は納得しました:




匿名ではなく,身分をきちんと明かしておくことは,逆説的な形でむしろ一種の安全策−−悪意に対する自己防衛策となるのではないか,という直感があります.

具体的にはたとえば,身分を明らかにした相手に対しては,たとえば「荒らし」も一定程度遠慮することが多いのではないか,ということです.…… 具体的に実在する人物としてのアイデンティティを表示しておくことは,ある種の遠慮や警戒心を呼び起こす可能性が高いのではないでしょうか.(p. 117)



ぼくはもともと「匿名発言は虫の鳴き声」という意見をずっともっているので,基本的に匿名者は相手にしていないのです.たとえば,ぼくが運営するメーリングリストでも,匿名参加したいという入会希望者に対しては,「匿名で存在[参加]することは認めますが,発言したり討論に参加したりしないでね」と釘を刺したことがあります.匿名者が存在したり独りごちるのは何の問題もないのですが,他者と関わる資格はどこにもないのだよということです.